プロレス的音楽徒然草 移民の歌(Immigrant Song)
実はカバー版
今回とりあげる移民の歌は、言うまでもなく、レッドツェッペリンの名曲でありますが、プロレスラーの入場テーマとして、現在もなお、人気の高い楽曲です。
2018年現在、バージョン違いではありますが、新日本プロレスの真壁刀義選手、DDTのスーパー・ササダンゴマシン選手らが使用しています(いずれもカバー版)。
プロレス的にオリジナルとされるのは、やはり1988年に他界されたキングコング・ブルーザー・ブロディ選手ということになるでしょう。しかし、実はブロディ選手が当初全日本プロレスに初登場した際に使われた移民の歌も、実はカバー版でした。
「野性味」のある全日版
今にして思うと、よくあんなイメージ通りのカバー曲を見つけてきたな、と感心するのですが、リズムセクションとホーンセクションが奏でる「野性味」が、超獣の二つ名を持つブロディ選手にはピッタリ当てはまっていたのです。
敢えてオリジナル版ではなくカバー版、しかも言っては何ですが、割とマイナーな日本人バンドのカバーをよく探してきたな、と思います。
オリジナルは新日で
ではなぜオリジナルを使わなかったのか?と言う事を私なりに考えてみると、歌詞付きの歌をそのまま流すと、実況と被ってしまうと言う問題点があったためではないか、と私は考えています。
実際、ロード・ウォリアーズが使用していたブラックサバスのアイアンマンなどは歌詞をバッサリなくした編集が施されています。当時の放送事情としては、プロレスラーの入場テーマ曲はなるべく歌詞のない「インストゥルメンタル」がのぞましく、歌詞のある楽曲については、歌詞のある部分を編集して使う必要があったのでしょう。
前奏に運命
このコラムでは度々名前が出てくるミル・マスカラス選手の「スカイハイ」は当時としては珍しく歌詞が付いたまま使用されていますが、これはイントロの長い映画仕様のバージョンを使っていたため、敢えて編集するまでまなかったのではないか、と私は思っています。
後年、ブロディ選手は新日本プロレスに移籍し、ここで初めてオリジナル版の移民の歌を使用します。
この時は前奏にベートーベンの「運命」を使い、次にツェッペリンの「移民の歌」がかかると言う構成になっていました。
この当時はぼちぼちスポーツ中継にステレオ放送が導入されはじめた頃で、全日本時代ほど実況と歌詞が被る心配も少なかったからかもしれません。また全日本時代との差別化を図るために、敢えてオリジナルを使ったとも考えられます。
トラブルメーカーと因縁
新日本バージョンの運命+移民の歌は、ブロディのセンセーショナルな登場と相まってなかなか印象深いものになりましたが、同時に新日本では数々の揉め事をおこしたため、マイナスのイメージがついたのも残念でした。
亡くなる前に全日本に復帰した時は、ジャイアント馬場さんに不義理を働いた事を反省して、改心したかにみえたブロディでしたが、プエルトリコでまたしてもトラブルを起こしてしまい、結果帰らぬ人となってしまいました。
移民の歌にも
ちなみに、オリジナル「移民の歌」の歌詞はウィキペディアによると、
北欧からやって来た航海者が西方の海岸 (western shore) 「新天地」に至り、大君主 (overlord) となって争いを収め、人々に平和と信頼とを取り戻すよう求めるというものであり、新天地とはアイスランドもしくはブリテン島と解釈されている。ただし日本では、クリストファー・コロンブス以前にアメリカ大陸に到達したヴァイキングの伝説を歌ったものと考察されることもある。
と言うことらしいです。
実は、移民の歌にも少しだけトラブルがあったのです。
告示疑惑
移民の歌とほぼ同時期に発表されたドイツのハードロックバンド、ルシファーズ・フレンドの楽曲「Ride The Sky」と言う曲があります。
これが移民の歌に酷似しており、ルシファーズ・フレンドが盗用したのではないかと疑惑もあがっていたそうです。
いい意味でも悪い意味でも稀有
しかし、彼らは「Ride The Sky」をレッド・ツェッペリンがリリースする前からライブで演奏していたそうで、とんだ濡れ衣だったと言うわけですね。
まあ、ブロディほど「お騒がせ」ではなかったにしても、こんなネガティブな共通項の歌があると言うのはなんとも皮肉な話です。
因みに、移民の歌を継承している真壁選手は暴走キングコングと言う二つ名とは裏腹な常識人ですし、スーパー・ササダンゴマシン選手も、プロレスラーとしてはかなり変わり者ですが、会社役員と言う肩書きを持っています。
能力を高く買われていた
皮肉な話ですが、トラブルメーカーだったブロディのイメージは、彼の没後に「移民の歌」を継承した選手たちの活躍でだいぶ薄まった印象がわたしにはあります。
考えてみたら刺殺されるくらいのトラブルと言うのは、よほどのことがない限りは日常起こりえないと思われます。特に現代のようにコンプライアンス重視の世の中になると、誰もブロディのようなトラブルメーカーを雇わないでしょう。
そうして考えてみると、殺されるくらい恨まれていた反面、トラブルメーカーだとしても雇わざるを得ないくらいに、その能力を高く買われていたブルーザー・ブロディという選手は、いい意味でも悪い意味でも稀有な存在だったと、今更ながらにして私は思うのです。