プロレス的音楽徒然草・はげ山の一夜(Night On Bold Mountain)~ブロンド・アウトローズのテーマ
名付け親は・・・
今回は1990年代に活躍した新日本のヒールユニット・ブロンド・アウトローズのテーマ曲である、ボブ・ジェームスさんの「はげ山の一夜」のご紹介です。
ブロンド・アウトローズは、1989年秋、後藤達俊選手が髪を金髪にし、ヒールに転身。ヒロ斎藤選手、保永昇男選手と結託して結成されました。
ヒロ斉藤さんによると、名付け親は坂口征二さんだったのだそうです。
ボブ・ジェームスさんは
ボブ・ジェームス(Bob James)さんは、アメリカ合衆国ミズーリ州生まれのピアニスト、音楽プロデューサー、作曲家、編曲家です。
ジャズ・フュージョンおよびアダルト・コンテンポラリー界を代表するアーティストの一人でドラマの音楽や劇伴、クラシックまで幅広く手掛けてーます。
グラミー賞受賞
1980年発表のアール・クルーさんとの合作「ワン・オン・ワン」、1986年発表のデイヴィッド・サンボーンさんとの合作「ダブル・ヴィジョン」でグラミー賞を受賞しています。
はげ山の一夜(Night On Bold Mountain)は、1974年にリリースされた初ソロ作である「One」に収録されています。この「One」はボブ・ジェームスさん初のセルフプロデュース作品でもあります。
もともとは
なお、はげ山の一夜(Night On Bold Mountain)は、itunesなど各配信サイトでも購入できます(2022年6月現在)。
「はげ山の一夜」は、もともとモデスト・ムソルグスキーさんが作曲した管弦楽曲です。
お蔵入りと改訂・編曲が
オリジナルの「はげ山の一夜」は、何度もお蔵入りと改訂・編曲が繰り返された結果、今日までに様々なバージョンが残されている状態にあり、それぞれ特徴ある楽曲となっている楽曲なんだそうです。
なお、この曲は1940年のディズニー映画「ファンタジア」にも取り上げられており、TVの不気味なシーンの効果音として頻繁に使われるなど、日頃耳にする機会は多いといえるでしょう。
4人のチームに
そのあたりからヒールユニット「ブロンド・アウトローズ」のテーマとして選曲された可能性が高いと私は思っています。
ブロンド・アウトローズには、1990年初頭にスーパー・ストロング・マシン選手が合流し、4人のチームとなりました。
第14代IWGPタッグ王者
一時期長州力選手にカツをいれるべく復帰したアニマル浜口選手と結託していましたが、この時期がユニットとしての最盛期だったと個人的には思っています。
1990年12月には、マシン&斎藤組で馳浩・佐々木健介組を破り、第14代IWGPタッグ王座を奪取しています。
レイジング・スタッフに
しかし、1992年頃、チーム名をレイジング・スタッフに改め、マシン選手以外のメンバーもマスクを被り(紫=マシン、赤=斎藤、緑=後藤、オレンジ=保永)、タイツにはイニシャルの「RS」を織り込んだロゴマークがあしらわれていました。
そして1993年秋頃、メンバー間の方向性の違いから分裂し、自然消滅しました。
黒のカリスマになる前
個人的にうっすら覚えているのは、週刊プロレスの座談会で、メンバーが、正規軍で白いコスチュームを着ていた当時の蝶野選手に、ヒール転向を勧めていたことです。
のちに蝶野選手が黒のカリスマとなって、ヒロ斉藤さんと組んでヒールターンしたことを思うと感慨深いものがありますが、仮にブロンド・アウトローズ時代やレイジング・スタッフ時代に蝶野選手が合流していても、ブレイクはしなかったでしょうね。