プロレス的発想の転換のすすめ#67 プロレスファンとしてのブランク
2回のブランク
こんにちは。プロレスファンのプロレス“ザ・モンスター”ハラダです。このブログは私が大好きなプロレスへの思いをしたためるために作ったものです。
実はプロレスに関していうと、二回ほどブランクと呼べる時期がありまして、一回目は1976年6月26日に行われた世紀の一戦、アントニオ猪木対モハメド・アリがきっかけでした。
魅力的な組み合わせ
この試合はボクシング対プロレスの異種格闘技戦として行われ、当時「プロレスが勝つか?ボクシングが勝つか?」という点で大きな興味をひいたものでした。
単純にどっちが強いかというのは誰しもが興味をもちやすいですし、当時小学生だった私でもわかる非常に魅力的な組みあわせでした。
これより以前にアントニオ猪木対ストロング小林という日本で一番強いのはどっちだといえる対決がありました。
すごいものを見た
実は小林選手が所属していた国際プロレス中継はおろか、全日本プロレス中継でさえも山口県では放送されておらず、国際時代の小林選手がどういう選手で、どういう経緯で国際を退団して猪木・馬場に挑戦表明したのかは全くわかっていませんでした。
ただ、中継で見た盛り上がりの尋常ならざる様子に「すごいものを見た」という感動があったことをよく覚えています。
終盤はなった猪木さんのジャーマンスープレックスで猪木さんの頭が勢いで宙に浮くシーンは今でもはっきり記憶に刻まれています。
15ラウンド引き分け
この試合の再来が見られるかもしれないという期待感で私は楽しみで仕方ありませんでした。
しかし、結果は15ラウンド引き分け。事前にどういうルールで戦われるのかという公式発表もなかったため、みている側には何が何だかわからないまま終わったという試合でした。
後にさまざまなことが明らかになるにつれて、この試合のすごさが理解できたのですが、やはり時代を先取りしすぎたとしかいいようがありません。
少なくとも小学生が理解できる「本物」ではなかったということですね。この一戦を機に私はいったんプロレスからは距離をおきます。ほかに興味のあるものも出てきたし、移り気な子どものことですから、仕方ないですけどね。
再びプロレス熱が
ではなぜこのブランクを経てプロレスに舞い戻ったのかというと、ここにも亡き祖母が関係しています。
高校三年生のある時、部屋から出てきた時に祖母から声をかけられました。「こっちへきてテレビでも見んかね?」と。
まあ受験勉強中でもありましたし、根詰めている孫の気晴らしにでもなればと思ったのでしょう。言われるままに祖母の部屋に行くとそこに映っていたのはプロレスでした。
ちょうどこの当時初代タイガーマスクブームが起きており、少年サンデー誌に載っていた「プロレススーパースター列伝」を愛読していた私の中には、再びプロレス熱が蘇りつつありました。
一気に引きずり戻された
そのタイミングで誘われたので、見てみたいという気になったのです。そしてそこには、感情を露わにして、自分の怒りをたたきつけている選手の姿がありました。
それこそが新日本プロレスに対し反旗を翻したばかりの長州力でした。
対戦相手は後に永遠のライバルになる藤波辰巳。
確か広島の試合でした。結果は両者フェンスアウト。あまりに冷静さをかいた二人はおさまりがつかず試合後も乱闘→マイクの応酬となかなかエキサイティングな試合でした。これで私は一気にプロレスに引き戻されたのです。
多数派より反体制
しかし、一番最初にみた試合の記憶に登場する藤波選手が、再びプロレスに触れたきっかけの試合にもいたというのは何か運命的なものを感じずにはいられません。
私はそもそも集団というものが好きではなくて、体制か反体制かといわれたら完全に反体制につく人間です。
なぜかというと多数派によるいじめにあってきたこともありましたし、そもそも幼い時から「ゆくゆくは家を継ぎ、家庭をもたなければならない」と言われ続けてきたこともありました。
自分の感情を隠さず
自分のやりたくないことを押し付けてくる他人にNOともいえない、そんな自分を当時はとても弱いものだとして自分自身で忌み嫌ってもいました。
ですから一人でも平気でいられる強い人間になりたかったのです。喜怒哀楽を表に出さず、常に冷静であって、決して動じることはないことこそが強いのだ、と思い込んでいました。
そんな私には長州という選手はとてもまぶしく思えたのです。
自分の感情を隠すことなく、怒りたいときに怒ってその怒りを対戦相手にぶつけていく、その感情にこそ確かな「本物」を感じていました。
感情表現の代行
プロレスというのはある意味、こうした感情を表に出しにくい人間にとっては、感情表現の代行を果たしてくれることがあります。それは実をいうととても大事なことでもあったりします。
実社会で自分の思うまま感情をあらわしていたらトラブルにもなりかねません。
私が遭遇した体験をご紹介しましょう。とあるイベントの帰りに船着場で、列を作って私たちは並んでおりました。初夏の陽気で日陰もないため、かなり暑かったのですが、順番はなかなかきません。
怒声が響く
ふと先頭方向を見ると係員に男性がクレームをつけだしていました。何に不満があるのかはわかりませんでしたが、男性はひたすら怒鳴りまくり、係員はひたすらなだめすかしていました。
まわりはひたすら関わり合いになるまいとあえて二人を避けるようにしていため、男性の怒声だけが日差し照りつける船着場に響き渡ることになり、我々は船がくるまでずっと彼の怒声を聞かされ続けたわけです。
プロレスでスカっと
で、まあこのようは事態が好ましくないと感じる我々は自分の感情を人前で露わにすることに規制をかけていきます。
くだんの男性のように辺り構わず怒鳴り散らすのは論外としても、あまり押さえつけすぎるとこれはこれで問題になります。
そこでプロレスラーに自分が秘めている感情を代理で表出してもらいスッキリするという楽しみ方は賢いやり方だと思います。
実際感情表現って押さえつけすぎると、怒っていい場面で怒れなかったり、泣けなかったりいろいろ不都合なこともたくさんあります。
そんな時はやはりプロレスをみてスカっとするのもいいんじゃないですかね。
楽しい観戦を
最初は考察とかしなくていいんで、思うがままに感情を会場でぶちまけるのも楽しいと思いますよ。
ほかのスポーツではいろいろ取り沙汰される観戦マナーですが、プロレスはその点まだまだ自由です。
ただし団体により試合進行上の問題や、著作権の関係から、独自の観戦マナーが定められています。その点は各自調べた上で楽しい観戦をしてくださいね。
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