プロレス的発想の転換のすすめ(20) 誰が人生の主役か?
人生の主役は
今回は誰が人生の主役か?というお話しです。
いきなり質問ですが、あなたの人生の主役は誰ですか?かなりわかりきったことを敢えて聞いています。
それはあなた自身です。
自分の人生の主役じゃない
他の誰かがあなたの人生の主役になることはありえないと思いますよね?
しかし、私には自分が自分の人生の主役であってはならないという、非常に理屈の通らない信念があり、それを貫いて生きてきました。
自分らしく生きることを
だから自分の人生に責任が持てず、自分の人生を生きることに恐怖心を感じていました。
それはつまり自分らしく生きることを自分で拒絶していたのです。
言いたくて言った
プロレスではしばしば感情の発露がみられます。
往々にして事前に選手本人が「言おう」と用意したものより「言いたくて言ってしまった」発言の方が名言として長く世に残ります。
本心から飛び出したモノ
それは意識の面で取り繕ったものではなく、本心から飛び出したものだからこそ、観客の心に刺さるわけです。
そうした本心が積み重なった結果、物語が紡がれていくのがプロレスという作品なんですね。
コラコラ問答を発端に
2003年11月、長州力選手と、故・橋本真也選手が繰り広げた、通称「オラオラ問答」の中で、長州選手が「吐いた言葉飲み込むなよ!」と発言しています。
この問答だけ切り取られるとネタにしかならないのですが、東京スポーツ紙上でWJや長州力に対して口撃を行っていた橋本選手は、このコラコラ問答を発端に、当時崩壊寸前だった長州軍との抗争に突入。同年12月団体戦、2004年2月にはシングルで長州力と激突、勝利しています。
リング上につなげた
結果的には問答だけが有名にはなりましたが、しっかりプロレスの闘いにつながっているわけです。
ただの口喧嘩で終わることなく、両者がリング上にまで闘いをつなげた点があったからこそ、このシーンも記憶に残ったといえるでしょう。
俺が主役!
私が想像するに、長州、橋本両選手とも「自分の人生」だけでなく、プロレス界でも「俺が主役」と自負しているからこそ、譲らないわけで、それをそのままプロレスに叩きつけているところも素晴らしいと私は思います。
私は、よく小さいころから「自分は人様の人生を見つめ、伝える」ことが自分の生きる意味だと思ってきました。
自分に光が当たるのは
その延長線上にあるのがプロレスの観戦記書きです。
そこに私が主役で登場することがないため、俯瞰で人のやることを傍観している方が楽だと思い込んでいました。
だから、自分にスポットライトがあたるのが大嫌いでしたし、自分より他人に光をあてることの方に喜びを見出してきました。
245時間黒子は出来ない
カウンセラーなんていう資格はそんな私にはうってつけだったのです。
サポート主体で主役になる必要がないからです。ただそれはあくまでも仕事上のことでしかありません。
24時間365日の人生を生きる上で黒子はできないのです。
義務感で生きると
そこでは否が応でも主役であらねばならないのです。
ただ、それでは義務感で生きていることになるので、やはりきついことには変わらないのです。
生き直しをするために
この主役であらねばならない感覚より、主役でありたいという能動的な形で、自分の人生を生きなおしていくわけですね。
そのやり直しをするための術や、自分の在り方も含めて自分と向かい合うためには、心理学をはじめとした勉強が必要だったのです。