プロレス的発想の転換のすすめ(105)無業とプロレス
再チャレンジしにくい
今回は無業とプロレスのお話です。
今の日本社会は、一度失敗してしまうと極度に再チャレンジしにくい仕組みになっています。
無業の状態
一度「仕事」を失ってしまうと、もう戻れないため、社会とも断絶してしまいます。これがいわゆる「無業」の状態です。
誰もが「無業」になる可能性があるにもかかわらず、いったんその状態になってしまうと抜け出しにくい社会でもあります。
無関心を装う
しかし、多くの人は「無業は自分には関係ないこと」と無関心を装っています。これは非常に危惧すべきことです。
なぜなら人々が関心を示さない話題は「なかったこと」にされるため、支援の必要な体制が整いません。
自己責任
従って法律も整備されず、本当に届けなければいけない支援は行き届かず、当事者は「自己責任」という言葉で追いつめられ、さらに疲弊していきます。
実際、私はうつを患ったところから「無業」となり、緑内障、がん、介護と立ち続けに問題が発生し、現在に至っています。
支援は皆無
しかし、これだけ問題がありながら、支援と呼べるものは皆無です。
うつの場合、審査が非常に厳しいため、障害年金を申請しても、高確率ではねられます。
障害認定は
実際、私は申請しても却下されました。
緑内障の場合、片目だけでも視力がある場合は、障害とは認定されません。
対象外
がんも、たとえば人工的な臓器を移植すれば、対象になりますが、血液のがんは対象外です。
介護はヤングケアラーや、老々介護がたまに紙面を飾りますが、法整備されているという話はいまだに聞いたことがありません。
八方塞がり
一つだけでも大変なんですが、私のように全て重なってしまうと、無業にならざるを得ません。
このように八方塞がりの状態では、介護疲れによる殺人事件が起きても不思議ではないですし、実際事件はおきています。
声を発信できないか
安部元首相の殺害で明るみに出た宗教団体の問題も、事件化する前は風化されていました。
こうした無関心を是正し、なんとか世間に困窮した人間の声を発信できないか?
社会からの孤立化
当事者の一人として真剣に考えました。
特に問題がおきた人が陥りがちなのが、社会からの孤立化です。
孤立化を防げた理由
実際、私もがんや緑内障、うつなどで病院の患者相談窓口をいくつも頼りましたが、先述したように、頼れる制度自体がないため、門前払いされ何度も絶望しました。
しかし、私が事件も起こさず、かといって孤立化をギリギリで防げた理由の一つは、プロレスと、プロレスによるつながりがあったおかげだと思っています。
数々の名言
かつてジャンボ鶴田さんが遺した「人生はチャレンジだ」、そして、アントニオ猪木さんの「迷わずいけよ、行けばわかるさ」…
プロレス界には数々の名言があります。私はこれらの名言にも救われてきました。
願わくば、この一歩が社会的な保障や、再チャレンジが可能になる世の中の実現につながれば、と願うばかりです。