怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(157) 自分の問題と向き合うための10の闘い(47)私は誰の人生を生きているのか?⑦
課題と向き合い解決した先に
あなたは、他人がよい方向に変化していくのをみると「自分もああなりたい」という気持ちになることってないですか?
今回は変容をテーマにお届けしようと思います。
このブログは表向き毒吐きがテーマですけど、特に「自分の問題と向き合うための10の闘い」シリーズを始めてからは、変容もテーマのひとつにしています。
要は課題と向き合い解決した先に、過去とは違う自分がいるはずという信念に基づいて、一つ一つの記事を書いてきました。
ことに、「苦手だけど本能と結びついている恋愛と結婚」と、今続けている「私は誰の人生を生きているのか?」の二つは、私の中では核になりうる問題であり、最も重要な解決課題でもあります。
恋愛に関して言うと、つい最近まで私はフラれることに非常に臆病でした。やはりきらわれるより好かれたかったんでしょう。まあ、人間誰かに理解してほしいという気持ちはだれにでもあるでしょう。ましてや、世間的にハブられやすいオタク層だと、他人は全否定してでも自分は、わかってほしいと思うのかもしれません。
私も昔はそうでしたからね。
しかし、昨年悪役宣言して嫌われる方向に舵を切ると、嫌われることに耐性が出てきて、割とフラれてもどうでもよくなってきました。元々彼女などいないので、プラスにならないかわりに、マイナスにもならないわけです。
開き直れた分、楽になった
気分だけは今でも大ヒール(悪役)なんですが、何となくその方が上手くいきそうな気がしています。これもなんとなくなんですが、どっちかというと開き直れた分、楽になっている気がしているんですね。
というわけで、嫌われても構わないという開き直りは、今の私に積極性をもたらしています。そうすると、今までにない行動力がでてきて、それが何か身を結びつつあります。結果はなかなか出てきていませんが、自分の中の変化として認識できているのです。
実際、嫌われてる層は自分から距離おけば、別にどうということはないし、ニュートラルにしていられると何より自分が楽なんですね。
ふつうに考えれば全ての人に好かれるのは不可能に近いのです。しかし、自分の可能性が信じられて、自分の人生を自分があゆんでいるという確固な手応えがあると、割と第三者からの反応はどうでもよくなります。
これが冒頭で私が述べた私が感じる自分自身の変容なのです。