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怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(143) 自分の問題と向き合うための10の闘い(33) 苦手だけど本能と結びついている恋愛と結婚③

2017/06/28

今回は信念の話をします。趣味であろうと、固定観念であろうと、その生き方で長年生きてきてしまうと、それはもう信念と呼んでいいと私は思います。言葉を変えるなら生き様と呼んでもいいかもしれません。

私の場合、趣味に殉じる生き方も、人間ぎらいであることも、全て自分の信念になっているため、それを「間違いだ」と第三者に断じられても「はい、そうですか」といって簡単に方向転換することは出来ないのです。

そして長年の習慣であり、生き様と化した信念は、自分の意思の力を持ってしても変える事も困難極まりないわけです。まあ変えようとするから自分自身の激しい抵抗を感じるようになるので、緩めてしまえばいいだけの話です。緩めることで信念は信念のまま持ち続けることができます。

ところが本能も信念もどちらも「自分の欲求」であることには変わりありません。「~しなければ」という義務感があるのであれば、それを緩めることは可能になるのですが、「~したい」を緩めるとなると非常に難儀な話になってきます。

こと恋愛と結婚に関しては本能的に「~したい」という欲求と、信念的に「~したい」という、どちらも自分が主体的に望むことではあるのですが、向かうベクトルが真逆になっているという点で非常にややこしくなっています。どっちかを選べというのではなく、両方選んでも全然かまわないはずなのに、私の中ではなぜか対立しているのですね。

百歩譲って恋愛は片思いでやる分には本人の自由ですが、成就させるとなると、ことが自分だけの問題ではなくなります。相手がいないと成立しませんし、相手が承諾してはじめてこちらの願いが叶うわけですから、私の一存ではどうにもならないわけです。

これが非常に面倒くさいわけですね。しかも表向きソーシャルな人間関係に関していうと問題ないやりとりができるスキルを私が身につけてしまったために、なおややこしいわけです。

かといって誰彼構わず口説きたいみたいな気持ちはハナからありませんから、相手が誰でもいいというわけでもありません。

もともと恋愛に関しては、人様よりやたら沸点の低い私が、恋愛したさに無理やりテンションあげて口説きにかかるというのも、私的には全然望まないことでもあります。

実はこの「恋愛したさに無理やりテンションあげてしまった場合」というのが、私の場合大変多くて、概ね失敗している原因になっているようなのです。これだと恋愛が先にありきになってしまっているわけで、本能の求めを優先させすぎているのですから、うまくいくわけがありません。

しかもまず成功事例にはなりえないわけですから、ネガティヴイメージだけ積み重なっていき、結果「恋愛なんかもういいや」と自分で幕を下ろしてしまうわけです。

まあ、何かしらの成功体験があるならまだ頑張れますが、そもそも私の場合特に「自分が好きではない」というところからスタートしているわけですから、「自分を好きになる」という一手間をかけないと、他人まで好きにはなれないのです。

そういう意味で私は、すでに自分のことが好きでいられている人間とはスタートラインから既に異なっているわけです。

ではどうしたらいいのか?

①諦めて今のまま暮らしていく
②自分を嫌いでも他人は好きになる
③自分を好きになって他人も好きになる

という三つの選択肢を考えてみました。一番楽なのは①ですが、本能の欲求は決して満たされません。

②は今まで私がやってきたことですが、これが行き詰まりはじめているため、問題として浮上してきているわけです。

③は私にとっては非常に厳しい道のりです。しかし、本能と信念を満たすためには、この選択肢以外は思いつきませんでした。

しかし、このまま生きていてもモヤモヤするし、茨の道と知りつつも先に進むのであれば③の道を選ぶしか私にはない感じがしているのです。











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