cocoro.harada.log

それでも生き永らえた!生命力イラストを描いているcocoroharadaの由無し事ブログ

*

怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(158) 自分の問題と向き合うための10の闘い(48)私は誰の人生を生きているのか?⑧

何が間違っていたのか?

恋愛と闘っている時に、私がいつも考えていたのは「恋愛など暇人がやるものだ」ということでした。

しかし、私は最近それがどうも間違いらしいということに気付き始めたのです。では何が間違っているのか?今回はその話をしようと思います。

ここ数年を除けば、おおむね仕事も多忙で、多趣味な私は、日々忙しくして過ごしてきました。光陰矢の如しとはよく言ったもので、未だに私が半世紀以上の時間を生きてきた現実を驚愕しつつも、何処か受け入れられてないようにも思います。

でもまあ、それはそれでよかったのですが、考え方の転機になったのは、やはり両親の介護がスタートしてからでした。

現在、母が要介護2、父が要介護1と数値的には軽微ではあるものの、中途半端に元気であるがゆえに、施設に入るほどではないわけです。

ある意味両親が施設に入所してしまうと、私が介護や老いという問題から向かい合わずにすむため、むしろ楽だったかもしれません。

しかし、毎日両親と顔を付き合わせていると、否が応でもこうした問題と向き合わざるを得ません。

日増しに大きくなる空虚感

具体的には我儘放題の両親による私への口撃や、父母のもの忘れによる細かなトラブルが重なり、気がつくとかなり私は疲弊しておりました。

コワーキングスペースで部屋を借りて逃げ出すように、下関にいる時間を減らしたのは、片道一時間の通勤に伴う肉体的苦痛よりも、実家住まいで疲弊する精神的苦痛の方がより大きなダメージをうけていた事に気づいたからでした。

幸か不幸かコワーキングスペースにいると、いろんな仕事が入ってきて、昔の社畜時代のような充足感も得られつつあるのですが、その一方で自分の中にある空虚感が日増しに大きくなっていくのを感じてました。

私が想像するに

①介護と仕事の物理的両立が困難になりはじめている

②精神的支えを求めている

③ひとりの時間がほしい

という三つが浮かんできました。

本当に欲しいのは心の支え

①は現実、毎日しんどいなあという感覚が消えないため、どこかで楽になろうとしているのは事実です。現状ケアマネジャーがついてはいるものの、デイサービスの利用については、両親が我儘放題で結局なくなってしまったために、私から距離を置くほかないわけです。

②ですが、支えがほしいから、恋愛したいわけではなく、「現状を乗り切るには誰かの支えがあったほうがよくないか?」という自分の心の声が聞こえた気がしたんですね。ですから、割と必死に出会い系サイトまで使って本気で出会いを探しました。まあ、結果は無残なものでしたが、いろいろ勉強にはなったし、悔いはないですね。

とはいえ、③の欲求も現実にあるわけです。忙しいとどうしても一人きりになれる時間、場所がなくなっていきます。仲間は大切ですが、病んでまで一緒にいるのは本意ではありません。本来孤独な時間を愛してやまないのも、また私なのです。

と、こうして自分の問題点を洗い出していくと、本当は恋愛というより、安らぎが欲しいんだな、ということに気づかされました。自分の人生の主役だからと言って、常にドキドキハラハラするような冒険ストーリーや、波乱万丈の人生、あるいは燃え上がるようなラブロマンスまでは必要ないわけです。そんなのはフィクションの世界に求めればよいだけのことですから。

人生の主役と言っても紡ぎ出す物語は意外とこじんまりした普通の幸せでいいんですよね。しかし、それがなかなか難しいことも、最近特に痛感しているんですけどね(笑)








au公式/ビデオパス

-怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ, 私は誰の人生を生きているのか?, 自分の問題と向き合うための10の闘い