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怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(100) 私が人に合わせることがキライな10の理由(10)

振り返ってみると私の半生は人に合わせてばかりでした。仕事では営業マンに自分を合わせ、コンビニの責任者の時はその仕事に合わせて生きてきました。その時代の私は果たしてどんな表情をしていたのでしょうかね。おそらく今とは比べ物にならないくらい死んだ顔をしていたのかもしれません。

最近よく「毒吐き切りました?」と聞かれることがあります。半年前と比べると私の表情に変化があるらしいですね。私個人はどういう変化なのかあまりわからないんですが、人と会話しなくても、昔ほど罪悪感めいたものは感じていないですね。以前より自由な感覚を手に入れられていることと、人に囲まれたぼっちという居心地の良さが、以前にない余裕につながっているような気もしています。

とはいえ、金銭的には半年前と同様、相変わらず切迫してますし、講座もやってはいますが、軌道に乗っているとはお世辞にも言い難い状況です。今の生活もあとどのくらい続けられるか?見通しも全く立ってはおりません。今を生きる、といえば聞こえはいいですが、1日1日をどうにかして生き延び続けている感じです。

しかし、そんな中で未来のおきるかもしれないし、おきないかもしれないことで、心を騒つかせるのも、時間の無駄ですからね。そういう意味では腹が括れている感じはしますね。

昔はただ闇雲に動いてばかりでしたけど、今では僅かながらでも戦略も立てながら進んでいこうとはしています。勢いだけでは乗り切れない部分は戦略で補って、考えすぎて動けなくなっている時は勢いでぶっちぎるという感じでしょうかね。そのバランスがだんだん取れてきたことが、自分の余裕につながってきているのかもしれません。

不思議なもんで、昔ならひとつの失敗でかなりクヨクヨと長い時間引きずってきたのですが、今はとにかくベクトルがさっさと次に向かっていってます。昔の私は失敗をなかったことにして、振り切って忘れようとしていました。しかしこれでは逆に自分の中の負のイメージは消えてなくならかったのです。ですから、失敗を打ち消すために行動に出るしか私には選択肢はありませんでした。ですが、こうした行動は決して自分の失敗を打ち消してはくれませんでした。

しかし今の私には行動するもしないも、自分で選択できる自由があります。選択できる自分であるからこそ、引きずらずに進んでいけているのでしょう。

いずれにしても人にも仕事にも合わせる時は合わせて、合わせる必要がなければ合わせないというのは私にとっては今までにない自由な感覚なんですよね。何かに縛られた窮屈な感覚は、以前に比べると激減しています。これは私の内面での大きな変化のひとつともいえます。そういう意味では半年前の自分より今の自分はより楽になれている実感はあると思いますね。










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