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怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(75) 私が古事記をキライな10の理由(5)

2017/01/25

「心理カウンセラーなんだから、なんでもお見通しなんでしょう?」という間違った質問はこの仕事をしていると、日常茶飯事に尋ねられます。私個人は「プロレスって八百長なんでしょう?」と同じくらい馬鹿げた問いかけだと思っています。

プロレスの話をしだすと長くなるので、ここでは触れませんが、心理カウンセラーが他人の心の中をピタリ当てるのはもちろん不可能です。どんな名セラピストでも同じです。断言します。しかし、心理学に精通し、卓越した観察力をもつカウンセラーがあたかも人の心が読めるかのように、あなたに思わせることは可能だと思います。

しかし、心理カウンセラーの仕事は読心術ではありません。実際はそうした派手な演出が必要ないくらい地味なものです。現実にカウンセリングを受けて「こんなもんか」という感じの人もいますね。私が受け続けたカウンセリングも、現れる変化は本当に微小なものでした。ですが、その微小で地味な変化の積み重ねでいつの間にか楽になれていた、というのが、今の私なんです。ですから自分が行うカウンセリングも理想としては、微小で地味な変化の積み重ねというのが理想なのです。

これは私の勝手な憶測なんですが、どうもカウンセラーに「お見通し」を求めている人って、なんでもできないといけない感覚をもっているのかなあ?と思っています。それは自分に対しても他人に対してもです。完璧にできて当たり前という感覚は、持ち続けていると本当にしんどくなっていきます。それは生きづらさなんてものではありません。生き地獄です。その生き地獄の感覚が松江や神話の郷にいくと強化されてしまうので、本当に疲れるわけです。

松江に連れていかれてる数年間は自分にとって人生を一番楽しんでいなかった時期でもありました。下関でもいやいや学校に行っていたし、学校が終わったら嫌な松江にいくというのは本当に自分にとって嫌な時間でした。何一つ自分の自由になることがなく、好きなテレビも映らない(ネット局の数で言うと山口も島根も大差なかったです)。九州地区の電波が入る下関に比べ家にいてもつまらないというのは針の筵でした。そんな中、神話が娯楽になるかといったらなろうはずもなく、歩いて15分くらいのところにある松江唯一のデパートにいっては暇をつぶすということを繰り返していました。当時の松江は私にとって退屈の象徴だったのです。

唯一、松江に行って楽しかった思い出は、当地でプロレスを見た時くらいでした。しかしこの体験は自分にとって非常に大きな転換点になりました。もしかすると神話への嫌悪感が大分緩和されたのもこの時の経験が大きくものをいったのではないかとさえ思っています。まあそもそも37年も祖母の墓参りにいってなかったくらいですから、本心から松江に関わるのが嫌だった私にしてみたら、今年プロレス観戦のために松江にいったということは大きな大きな事件だったのです。

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