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怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(205) 最終章「引き算の生き方」②

2018/08/18

忙しいことはいい事?

長い間続けてきた当ブログの役割もそろそろ終盤に向かいつつあります。最後はここまで気づいてきたことで、私の何が変わり、どこへ向かおうとしているのか?そして、最近私が提唱している「引き算の生き方」とは何かを可能な限り説明したいと思います。

忙しいというのは、こざとへんに亡くすと書きます。日本では忙しさが価値観のひとつとしてもてはやされていますし、私も長い間「忙しいことはいい事だ」と思い込んで生きてきました。

しかし、一旦身体をこわしてしまい、仕事ができないくらいに追い込まれると、果たして今までの生き方が正しかったのか、という疑問が湧いてきました。

一番最初に違和感を感じたのは、約10年前になります。当時は医者から鬱病と診断され、抗うつ薬を服用しながら、外出しはじめた頃でした。

とある方にたまたま自分の現状をお話しする機会がありました。一通り私が説明し終わると、その方は「復帰はいつ頃?」と私に聞いてきました。

正直、復帰も何も職場が消滅していたので、戻る場所もなく、フリーランスとしてやっていくアテもなかった頃ですから、答えには窮しました。何とこたえたかは記憶にないのですが、曖昧な表現で逃げたような感じがしています。

まあ、最悪10年も経てば、それなりに仕事しているとは思っていたかもしれないですが、よもや後に能動的に無職の道を選ぶとは、この当時の私には想像もできていませんでしたけどね。

第四の義務

と、まあ10年前でも復職前提で話されたりしていたわけですが、これは多分今もそんなに変わってはいないはずですね。

まあ、それも道理で日本が定めている国民の義務に「教育」「勤労」「納税」があるので、国民であるからには義務を果たせ、というのは至極まっとうな主張でもあります。

しかしながら、私は今このどれもやっていません。一応積み立ての生命保険と、健康保険、年金だけは払ってますが、あとは何もしていません。ですから日本について、今の私がどうのこうの言う事はあまりありません。

そもそも私は薬代だけ自立支援のお世話になっているのですが、生活面は貯金を切り崩しているので、公的な支援はほぼ受けておりません。私には決して多くない貯金から納税に回すお金がない代わりに、公的な施しも受けていないのです。

現代日本では、先にあげた三大義務のほかにもう一つ逃げられない義務があります。それは親の介護です。これは仕事をしていようがいまいが、まとわりついてきます。残念ながら、私もこの義務だけは果たしている途中です。正確には「何もしていない」わけではないのです。

人に迷惑をかけよう!

国民の義務が日本国憲法に定められた時代には、今ほど介護問題が深刻ではありませんでした。ですが、三大義務に加えて介護まで義務化してしまうと、生活が破綻してしまいます。それでなくても労働が大きなウェイトを占める日本人の生き方の中で、これ以上義務を増やすことは物理的にも精神的にも無理がありすぎます。

そこで、引き算の必要が出てくるわけです。なんでも一人で抱え込まず、手に余ることはどんどん他人の手を煩わせるのです。もはや人に迷惑をかけてはいけないとかいっている場合ではありません。

この「人に迷惑をかけてはいけない」というのは実をいうとボケる前のうちの両親の口癖でした。では今どうなっているかというと、いい方は悪いですが息子の私に迷惑をかけっぱなしです。もちろん自覚なんかありません。第一息子は他人じゃないんだから迷惑をかけてもいいというのは、論理が破綻していますし、家族だからといってすべて責任を負う必要もないはずです。

実家に同居していた時、私は常に両親の足代わりでした。いつなんどき、どんなに疲れていても運転しろといわれたら、車を出すのが私の義務として両親から圧力をかけられていました。それが当然という認識で逆らうと両親の怒りを買っていました。だからこそ、私は両親の影響下から離れる必要があったのです。

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