怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(72) 私が古事記をキライな10の理由(2)
2017/01/25
最近になって気がついたのですが、私は人に対しては「これいいでしょう?好きになりませんか?」というのが好きなくせして、人から同じことをされるのは非常にキライだったのです。
古事記には、最近盛んに私の周辺で感化されている人が多いのですが、私自身には母方の親戚に対してのイヤな感覚とセットで不快感を感じるために、どうも素直に対峙することができないのです。
冒頭に書いたように、自分と同じものを人にも好きになってほしいというのは、他人を変えようとする行為です。基本的に過去と他人は変わりません。自分と同じものを他人が好きになるかどうかは他人が決めることで、私が決めることではありません。ですから、他人が好きなことを私が好きになる必要もまたないわけです。
ところが母方の親戚というのはなぜか「我々が好きなものは、お前も好きになるに違いない」という妙な信念に凝り固まっている人が多いため、私が親戚に合わせないといけない事が多々ありました。そのくせ私や私が好きなものには興味を示そうともしません。そして私に比較的好意的に接してくれていた母方の祖母は階段から足を踏み外し、晩年は私の顔さえわからなくなりました。その時点で松江で私の味方に立ってくれる人間は誰もいなくなってしまったのです。
三年ほど前、37年ぶりに松江を訪ね、祖母の墓参りをはじめて済ませたのですが、親戚一同は何も変わってなかったですね。というか、一番仲良くしてくれた歳上の従姉がすっかり一族に同調してしまい、変わり果てていたのには失望すら覚えました。彼女は大学卒業後、一時期芸能活動をしていたくらいの才媛でした。
加えて彼女は私の体調などおかまいなしに、「1日中農作業を体験させてあげる」と嬉しそうに私に勧めてきました。もちろん私は固辞しましたが、彼女は「自分が好きなことは他人も好きに違いない」という信念を1ミリも曲げることはありませんでした。こちらの側に寄り添うという姿勢は皆無だったのです。
更にうちの母は、松江にいる時は完全に松江の末っ子にして、従兄、従姉の叔母という立場になり、母の顔をみせることは一度もありませんでした。母方の親戚はそんな母は歓迎するのですが、母の子どもである私は完全によその子扱いでした。
だから居場所のなさといったらたまらなかったですね。母方の親戚の対応は、子どもの頃に限らず、三年前の久々になる訪問時でも全く変わってはいませんでした。それが悲しくもあり、腹も立つことだったのです。
その彼らの口から語られる古事記というのが私にはたまらなくいやでした。だから私が知る古事記の知識は主に手塚治虫先生が火の鳥の中で噛み砕かれた解釈に自分なりの見聞きしたものが混合したものにすぎません。正直言えば誰かのフィルターを通さず生の古事記を感じてみたかったのですが、まず親戚に対するイヤな感情と向き合い、同時にネガティヴなイメージに凝り固まった自分の古事記感を新しいイメージに書き換えられてはじめて、私は古事記と真正面から対峙できるのではないか?そんなことを最近は考えています。