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怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(120) 自分の問題と向き合うための10の闘い(10) シェアに対する不快感⑩

2017/04/13

今回は死にたい人間の話をします。タイトル通り、死にたい人間とはズバリ私のことです。すでに散々書きましたが、7歳くらいから即身成仏に憧れて、修業しながら死にたいと考えていた私は、この時分から瞑想にとても強い憧憬を持っていました。ちょうどテレビ特撮ヒーローのレインボーマンにも憧れていたので、ヨガ系の修業をしながら死にたいというのが理想形でした。

しかし、このころから瞑想にふけると決まって鼻がつまる癖がありました。医者からは様々な鼻炎の施術を施され、麻酔なしで手術もしたのですが、鼻炎に関しては未だになおらないでいます。鼻がつまると呼吸が苦しくなるため、否が応でも口などを開けなければなりません。私は苦しんで死ぬのは嫌だったので、鼻がつまるというのは、いろんな意味で非常にシンドイ体験でした。鼻がつまり、呼吸ができなくなれば、望んだ通り死ねるのですが、それは私が望む死に方ではなかったのです。従って理想の死に方を手に入れるためには、鼻炎を完治させる必要がありましたが、結局未だに完治していません。

その後、死にたい感覚をある程度手放してからも、心理学などで瞑想に入るとやはり鼻がつまるようになっていきました。一時的によくなっていたのですが、深い瞑想に入ろうとすると、決まって邪魔されていたのです。

心からのアプローチで原因を探るべく何度も自分とむかいあいましたが、私が納得できる回答には行き着きませんでした。

しかし、身体からアプローチしてみたら、どうも瞑想に入る=意識が死を望むというスイッチが勝手に入るのではないか?という結論になりました。変な言い方ですが、死のうとしていた私を、私の身体が信用していない感じがしたんですね。

ではどうしたら問題解決に至るのか?やはりここは身体が信じてない私をもう一度信じてもらうために、あらゆる手段を使ってでも自分の価値を高めるしかありません。そもそもシェアへの不快感も「こんな自分にシェアする価値なんかない」という思い込みからもきてますからね。

とはいえ、長年の経緯で自分の価値をディスカウントし続けてきた結果、現在の自分があるわけです。自分を甘やかすのではなく、自分を認めて自分の正当な価値を自分に認識させて、自分が芯から生きていこうという方向に望んで進んで生きていくことが、結果的に私にとって近道になるような気がしています。

しかし、元々死にたい方向に向かって進んでいた人間が、いきなり真逆に進んでいくのは相当難しいわけです。どんなにネガテイブなものでも人は慣れ親しんだ感覚を選ぶといいます。それは私も例外ではありません。ですから、一般的に人が気づいて簡単に修正できるようなことでも、えらく時間がかかってしまうわけです。

心の問題に関してはいやというくらい自分と向き合ってきました。でもそれだけでは不十分でした。身体からのアプローチというのは自分にとってはやむにやまれぬ事情ではじめたといってもいいかもしれません。












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