プロレス的発想の転換のすすめ(50)恋愛未経験とデスマッチ
趣味を盾にする心理
今回は私が一番苦手にしている「恋愛」の話です。
実際、趣味に時間を取られて異性と付き合ったことがないというのは、半分本当で半分は違うと思っています。
多趣味を理由にして、他人からの詮索を逃れたいだけで、趣味そのものには何の罪もありません。
とはいえ、ずっと一人きりでいるということもなく、幸いなことに今まで孤立してはいませんでした。
それこそ趣味を介した友達が今もいますしね。しかし、男女問わず、そこから親密な関係に発展させることはできませんでした。
臆病な自己防衛本能
学生時代はもちろん、社会に出てからも、普通の人が通常するような「女の子を誘う」ことは全くしてこなかったですね。
自分では女性と付き合えないとは思っていませんでした。
ただ、自信のなさと「自分を魅力的だと思ってくれる人などいない」という気持ちが心の奥底にあったのが大きな理由でしょう。
ここ最近はそうでもないのですが、この件で友達に相談したことはないし、聞かれたこともあまりありません
。聞かれたら過剰に自己防衛的になったでしょうね。
恥ずかしいという気持ちが今も強くありますし、それこそ自分の趣味をスケープゴートにして、自分自身を傷つけていくことくらいは平気でしていたでしょう。
削り取られた自尊心
大人になることを扱った有名な歌や映画をとってみても、恋愛関係の始まりがテーマになっているものが多いし、一人前の男になるという文化的な「パターン」は、自分を恥ずかしい気持ちにさせました。
友達が付き合い始めてから、やがて結婚するまでを、傍観者として見てきました。
その事実は私の心にポタポタと落ちてきて、自尊心を腐らせていきました。
だから自分にとって大切な趣味を、羞恥を隠すために自分で問題視して、結局「自分が悪いんだ」という負のループにはまっていく。これが私の人生のパターンです。
抜け出せない負の連鎖
自分の好意に応えてくれる人なんていないと確信していたから、断られるという可能性は関係がなかったのですが、いざ行動に移しても結局断られるので、なかなかこの負のループからは抜け出せずにいます。
かつて、友人関係だった女性たちは、自分など求めていないと確信していました。
本当にそうだったのかは正直分かりません。もちろん誘われたことはありません。
もしそんなことがあったなら、どんなに嬉しかったでしょうか。
こうして自分を守るはずが、自分を傷つけてきたことによって、私の心身は病に蝕まれていきました。直近では肺にリンパ腫ができていたことも判明しました。
狂猿が教える傷の価値
この記事を書いていて思うのは、デスマッチファイターと自分との「差」です。
たとえば「狂猿」と呼ばれる葛西純選手。彼の背中は、無数の画鋲やカミソリ、割れた蛍光灯によって、もはや元の肌の色が分からないほど傷跡で埋め尽くされています。
かつて葛西選手は、過酷な闘いの中で内臓を患い、長期欠場を余儀なくされたことがありました。
しかし、彼は絶望の淵から這い上がり、「デスマッチがあるから生きていける」とリングに戻ってきたのです。
デスマッチファイターは承認欲求を満たすために身体を傷つけているわけではありません。
彼らの傷や血は非常にポジティブで、またエンターテインメント性にも優れています。
何より、リングの上で「デス(死)」を表現しながら、観客に生きる活力を与え続けているのです。
対して、私の「誰かから傷つけられるかもしれない」という恐怖は、「人並みに生きたい」気持ちとは裏腹に、皮肉にも死に向かっています。
多様性の陰にある苦悩
これは多分そう外れてはいない感覚だと思います。
還暦を超えて、老いも身に染みる中、今までの生き方が果たして正しかったのかどうかは定かではありません。
実際「正しかった」と言い切れる自信があったら、ここまで自分を追い込んではないでしょう。
でも、もし「このまま」でいいのなら、無理くりエンタメにしなくてもいいし、人目を気にしなくてもいいと思うんです。
多様性と言いつつ、今の世ほど生きにくい時代はないと思います。
私が生きているうちに、「誰かと付き合わなければ、人にあらず」みたいな考え方が少しでも減って、生きやすさが僅かでも現実のものになるといいなと今は願ってやみません。
魂を賭けた心の闘い
恋愛未経験というコンプレックスを抱え、自分を傷つけ続けてきた私の人生は、ある意味で出口のない「デスマッチ」だったのかもしれません。
プロレスのリングでは、凄惨な闘いの末に、勝者も敗者も等しく観客から喝采を浴びることがあります。
葛西純選手が「死ぬほど痛い思い」をしながら、それでもリングで「生きててよかった」と叫ぶように、私もまた、この傷だらけの自尊心を抱えたまま、人生という名の過酷な闘いを続けていくしかないのです。
たとえ拍手がなくとも、この痛みが私が生き抜こうともがいた証であると信じて。
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