プロレス的音楽徒然草 Heart Beat
わずか四年の絶頂期
今回はWham!(ワム!)の名曲「Heart Beat」をご紹介します。
1981年、小学校からの同級生であるジョージ・マイケルとアンドリュー・リッジリーのデュオとして活動を開始。1982年にデビューし、1980年代前半から中盤にかけてヒット曲を連発し、高い人気を誇りました。
1985年に発表されたシングル「ラスト・クリスマス」は、現在もクリスマスソングの定番曲として親しまれています。
人気が絶頂を極める中、Wham!は1986年に突如解散を発表します。デビューしてから解散するまで、活動期間はわずか4年ほどでした。同年6月28日、ウェンブリー・スタジアムにて解散ライブを敢行しています。
2006年12月、ジョージのソロ公演にアンドリューが15年ぶりにゲストとして参加。これが2人での最後のパフォーマンスとなりました。その後、再結成の話も持ち上がったものの、最終的にこの話は流れてしまいました。
ジョージの急逝
そのWham!のジョージ・マイケルが2016年12月25日に亡くなったというニュースは、80年代に青春を過ごした世代に衝撃を与えました。享年53歳。あまりに若すぎる突然の死でした。
闘病中という報道もなく、毎年恒例の「ラスト・クリスマス」が街に流れるクリスマスを世界中が終えたタイミングでの訃報だっただけに、そのショックは大変大きいものでした。私も80年代、Wham!の曲をたくさん聴いていました。
青春のスーパースター
ちょうど10代中盤から20代前半にかけては、私も少し背伸びをしたかったからか、好んで洋楽を聴くようになっていました。 当時のヒットチャートはもちろん、世代的には上になるビートルズやレッド・ツェッペリンなどまで、広範囲にわたって聴いていました。そんな中に現れたWham!は、「背伸びせずに聴ける」同世代のスーパースターだったのです。
ちなみにWham!は「ラスト・クリスマス」のヒット以降、なんとなく「リア充御用達アーティスト」のような扱いを受けましたが、私にとっては年齢が近い分、とても身近に感じられる存在でした。 ですから、いわゆる「リア充」でなくても、Wham!の音楽やジョージ・マイケルのボーカルには親しみを持って耳を傾けていました。
黄金期の入場テーマ
Wham!といえば、プロレスファンにとってはJWP女子プロレスの選手入場式のテーマ曲になっていた「Heart Beat」を外すことはできません。
JWPは1992年1月28日、ジャパン女子プロレスの解散後、同団体の子会社「JWPプロジェクト」を母体に設立されました。選手会の分裂により、最終所属選手12人のうちJWPに加わったのは7選手。そこに、ジャパン女子の最終興行で一旦引退を表明したデビル雅美が加わり、さらに第1回オーディション合格者2名を旗揚げメンバーに加えてスタートしました。
JWP黄金期を飾ったデビル雅美、ダイナマイト関西、尾崎魔弓、キューティー鈴木、福岡晶、矢樹広美らが大会冒頭で勢揃いする入場式において、「Heart Beat」は欠かせない曲でした。 Wham!がデビューした80年代、そして「Heart Beat」がJWPの入場曲として使われていた90年代は、未来に希望が持てて、明日が当たり前のようにやってくる時代でした。
命の有限さを知る
JWPに限らず、90年代は女子プロレスが地方でも当たり前に生で見られるエンターテインメントでした。「ラスト・クリスマス」にしても決して「最後」ではなく、また年が明けて暮れていけば次のクリスマスがやってくるという、いわば「終わりは始まり」でもあったわけです。
しかし、人間の命は有限です。ジョージ・マイケルやWham!が残した仕事は永遠に残りますが、新しい作品に出会う機会はもう二度とやってきません。Wham!が毎年のように流れるクリスマスが、当たり前でなくなる時代が来るなんて想像もしていませんでした。
自分と歳の近い人間の訃報を耳にすると、自らの命もまた有限であることを思い知らされます。だからこそ、私自身も「どう生きていくのか」を真剣に考えるようになっています。
想い出の中で永遠に
あの日まで確かにそこにいたジョージ・マイケルは、もういません。Wham!の楽曲もジョージ・マイケルの歌声も、想い出の中で流れていく音楽になったのだと感じます。
2016年はダイナマイト関西が引退し、ジャパン女子の同期だったハーレー斉藤も亡くなりました。そしてジョージ・マイケルの訃報。思うところがあまりに多すぎた一年でした。
古き良き時代は、想い出の中でだけは永遠なのです。時代がどれだけ移り変わろうとも、それだけは確かです。 偉大なるスーパースター、ジョージ・マイケルのご冥福をお祈りいたします。
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