プロレス的発想の転換のすすめについて

書き出した2つの理由
「発想の転換のすすめ」記事を書き出した理由は大きく分けると2つあります。
一つは、ハラダのプロレス 観を文章にしたいという気持ち、もう一つは、40代に心理カウンセラーとして色んな学びをしてきたので、プロレスを通じてその知識や体験をシェアしたいという気持ちがありました。
不思議なもんで、心理カウンセリングでも、今習っているヨガにしても、意外なくらい共通項があるんですね。
プロレスはサイコロジーゲーム
かつて、今はなきブルーザー・ブロディは、「プロレスとはサイコロジーなゲーム」「プロレスはレスリングごっこであってはならない。フィジカルとメンタル、そしてストラテジックなスポーツだ」としていました。
ブロディ本人がサイコロジーなプロレスをしていたかどうかは、ここでは問題にしません。
私がいいたいのは、プロレスにサイコロジーの要素があるか、ないかという事です。
心理が「作品」に反映される
結論から言えばその答えは「YES」です。プロレスほど選手や観客の心理が「作品」に反映されるエンターテインメントはない、と言い切れると思います。
それは試合が作り出す「空気」であり、大会が生み出す「熱量」とも言い換えられます。
残念ながらコロナ禍にあって、なかなか以前のような熱量の方は生み出しづらい状況にはなっているんですが、それでも制限された中において、観客も選手も必死に自己表現をしています。
拍手での応援
その好例が「拍手での応援」です。飛沫拡散防止の観点から「声出しの応援」は原則禁止されていました。
しかし、そのかわり観客は様々なバリエーションの「拍手」によって試合を彩ってきました。
そこには間違いなく人間の心理表現があります。
インスパイアされて
怒り、喜び、悲しみ…制限された中でも確かにエネルギーとして伝わってきます。
そこからインスパイアされて、私自身のプロレス観も様々な変化をしていきます。
それもまたプロレスの表現の一つではないか?と私は考えているのです。

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