プロレス的発想の転換のすすめ (47) 限りある時を闘い抜く
命の時間は有限
今回は時間のお話をします。
時間に関しては、どんな大富豪であろうと私のような庶民であろうと、等しく「1日24時間」という区切りで与えられています。
この限られた時間をいかにして楽しく過ごすか。
それを考えると、やはり自分の楽しみたいことを軸にして生きていった方がいいわけです。
一番無駄なのは、大して興味もないのに周りに話を合わせるためだけに、その貴重な時間を使ってしまうことです。
仮にあなたが無趣味で、何か夢中になれるものを見つけたいなら、最初の一歩は「合わせる」ことでもいいでしょう。
しかし、既に抱えきれないほどの趣味を持つ人間にとっては、時間の使い方は死活問題です。
私はモノの断捨離は苦手ですが、趣味に関しては断捨離せざるを得ないことが度々ありました。その理由はシンプルです。
- 1日24時間でできることには限界がある
- 自分ではどうにもできない不可抗力が起こった
- 趣味を楽しむためには健康が第一である
チーム消滅の衝撃
1については当然ですね。
若い頃なら寸暇を惜しんで睡眠時間を削ることもできましたが、それでも実際には限度があります。
2については、かつて応援していたチームが消滅したことが挙げられます。
かつて私はプロ野球を観ていました。始まりは友人の話についていくためでしたが、応援したいチームができたことで能動的に野球が好きになりました。
しかし2004年のいわゆる「球界再編」によって、私が応援していたチームは消滅しました。これによって、私にとって野球は趣味ではなくなりました。そこで、野球が断捨離の対象になったのです。
健康と趣味の選択
3については、健康上の理由です。
できることとできないことが出てきてしまったため、健康維持のために時間を割かなければならなくなりました。
これについては、義務というより「自分がしたいこと」のために動いている感覚なので、決して嫌な気分ではありません。
この3つの理由によって、野球と読書(漫画を含む)が断捨離の対象になり、代わりに映画鑑賞が浮上してきました。
野球と読書に関しては、映画という代替になり得る趣味があったため、喪失感もそれほどありませんでした。
読書については、プロレスに関する書物は読み続けていましたから、雑多な読み方をしなくなっただけです。
カウンセリングでメンタル面を、ヨガで体をケアし直したことで、再び読書熱は戻りつつあります。
ただ、野球に関しては「野球というジャンル」が好きなのではなく「特定のチームを応援すること」がすべてでした。
プロレスであれば、仮に贔屓の団体がなくなったとしても、私は違う団体の闘いを観に行きますが、野球ではそれができなかった。
他のチームやプロ野球以外の野球に思い入れが持てなかった以上、自分から身を引くこと以外、どうしようもなかったのです。
生き甲斐という熱
実は野球の代替手段として、サッカーやメジャーリーグも観てみたのですが、プロレスほどの高揚感は得られませんでした。
これは総合格闘技やボクシングといった、広い意味での「格闘」ジャンルでも同様でした。
結局、私が今でも続けているプロレス観戦は、趣味の領域を超えて「生き甲斐」そのものになっています。
ですから、他人が何に興味を持っていようと、それに合わせようという気持ちもありません。
むしろ、気を遣って合わせようとしてくれる人には「私に合わせなくてもいいですよ」と伝えるようにしています。
興味がないのに合わせられても困りますし、そもそも観てきた年月が違いすぎるため、私に合わせること自体が不可能に近いからです。
世間ではWBCやワールドカップなどで国中が盛り上がることもありますが、昔ならいざ知らず、今はその盛り上がりに不快感を感じることさえなくなりました。
日本中が盛り上がっている中で自分だけが取り残されていると感じているあなた。
あなたは決して非国民などではありません。
野球やサッカーに熱狂する人々と、あなたは単に「違う人間」であるというだけです。もちろん、私も同じです。
ネット時代の恩恵
私の場合、ニュースとしてネットで結果を拾う程度はしていますが、それ以上の深追いはしません。
こう見えて世代的にはバリバリのテレビっ子でしたが、まさかテレビなしで生活できる日が来ようとは夢にも思っていませんでした。
そもそもプロレスとアニメはテレビとは切っても切れない関係だと信じて生きてきましたから、未だに自分でも驚いています。
しかし、ネットの設置業者さんによると、テレビを契約する世帯は減り、ネットのみを契約する家庭が増えているそうです。
自分がマイノリティだと思い込んでいたことが、実はそうではなかったという体験でした。
気がつけば、ネットにはアニメだけでなくプロレスの配信番組も増え、格闘専門チャンネルまである時代です。
地上波が仮に野球やサッカーで埋め尽くされても、ストレスを感じることはありません。プロレスファンにとっても、実にいい時代になりました。
自分を貫く闘い
例えばあなたがワールドカップに興味がない場合、サッカーに関心がないという「マイノリティ」であることを、「多様性」という旗印の下に、わざわざ他人に認めさせるのは無駄な労力です。
異なる価値観を持ち、なおかつ相容れない人間に「わかってもらう」ことに、一体何の意味があるのでしょうか。
そんな「興味のない自分」をアピールしている暇があるなら、ご自身の好きなこと、夢中になれることに没頭した方が、よほど有益ではないかと私は思います。
最初にも述べたように、時間は有限です。限られた時間の中でいかに自分らしく過ごせるかを考えたら、出すべき答えは自ずと明らかになるはずです。
時は金なり
人生というリングに上がれる時間は限られています。
かつてアントニオ猪木選手やジャイアント馬場選手が、限られた肉体と時間の中で、自らの信念を懸けて闘いを繰り広げたように、私たちもまた、自分の命という時間を何に注ぐかを選び取らなければなりません。
プロレスの試合がいつか3カウントやギブアップで幕を閉じるように、私たちの人生という闘いにも必ず終わりの時が来ます。
その瞬間まで、周囲の雑音に惑わされることなく、自分が心から熱狂できるものに人生を捧げる。それこそが、有限な時間を生きる私たちにとっての、真の「プロレス道」なのではないでしょうか。
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