プロレス的発想の転換のすすめ(91) 魂が還る場所としてのプロレス
安心して帰る場所
今回は「帰る場所」についてお話しします。
これを読んでいるあなたには、安心して帰ることができるところがありますか?
究極の共闘関係
プロレスは一見すると個人対個人の問題のように見えます。
しかし、実はプロレスほどチームプレイを要求される競技はほかにないと思います。
相手を守る闘い
プロレスの試合では往々にして相手に身を預ける場面が存在します。
かつて昭和の時代、アントニオ猪木選手やジャイアント馬場選手が幾多の強豪外国人を迎え撃った際も、そこには激しい攻防の裏に、互いの信頼関係に基づいた「受けの美学」がありました。
それは相手の技を受けても耐えうる自分をアピールすることにもなりますが、同時に相手を怪我させないことで、対戦カードに穴を開けない配慮も見えます。
自身の出番を守る
もしプロレスが「何しても勝てばよい」のなら、相手が怪我をしようが関係ないのですが、自分の相手が怪我などで次々と欠場していけば、対戦カードが組まれにくくなります。
闘いがなくなれば、自分の出番も失います。ですから、相手を「本当にぶっ壊してしまう」ことは、巡り巡って自分のためにはならないわけです。
希薄だった帰属意識
さて、私には家族を含む集団への帰属意識が恐ろしく希薄でした。しかし、反面「自分が帰り着ける場所」をずっと探してもいました。それに気づいたのは、ごくごく最近になってからです。
組織の歯車として
それまでの私はとにかく集団のために「個」を殺す生き方をしてきました。
私が何者であるかというのはどうでもよくて、ひたすら組織のための歯車であろうとしていたわけです。
会場という心の家
その結果どうなったかというと、歯車として役に立たなくなった途端に集団から切り離され、何者でもない「個」になってしまうことをひたすら繰り返してきました。
プロレスファンであり、一観客として私が帰るべき場所は会場です。
ジャンルへの信頼
しかし、それはリングが設置されている間だけで、撤収されてしまえばただの体育館やホールに戻るわけです。
私が心の拠り所にしているのは「プロレス」というジャンルそのものであり、特定の団体・選手のみを応援するということをしていません。
それはなぜか。
消えた愛着の対象
私はかつて、プロ野球も好きでした。応援していたチームは、今はなき近鉄バファローズ。
近鉄以外のチームを応援するというのは私には考えがたいことでした。
私にとって野球は、近鉄というチームと「イコール」になっていたのです。
野球とのサヨナラ
しかし、2004年の球団再編騒動によって近鉄はオリックスと合併。
新たに楽天が参入して形の上では「2リーグ12球団制」が維持されました。
先に申し上げた通り、私には近鉄以外のチームを応援する気持ちはつゆほどもありませんでしたから、この時点で私は野球から「サヨナラ」することになりました。
繰り返される崩壊
仮に世界大手のWWEや新日本プロレスが消滅したとしましょう。
アメリカではWWEのライバル団体であったWCWが、現実に消滅した歴史があります。
また、かつて日本を席巻した全日本女子プロレスも、放漫経営や時代の荒波の中で崩壊の道を辿りました。
業界の不変性を信じ
日本では、かつてのSWSやUWF系列の団体、そして現代でも多くのインディー団体が泡沫のように生まれては消えていきますから、いちいち反応していたらキリがありません。
ましてや推しの選手が亡くなるなんて事態もあり得ない話ではなく、それでプロレスファンまでやめてしまう人もいないわけではありません。
たまたま私の場合は、プロレスと野球では見る形が異なったため、野球ファンは引退し、プロレスだけはズルズル見続けているわけですが、たぶん私が死んでもプロレスは残るはずです。
再生を果たす生命力
あれほど隆盛を極めた総合格闘技のブームもあっという間に過ぎ去り、冬の時代を経験したプロレスは再び息を吹き返しています。
かつて新日本プロレスが暗黒期と呼ばれた2000年代前半、会場は閑古鳥が鳴いていましたが、そこから棚橋弘至選手たちが泥臭く街頭宣伝をこなし、再びドームを満員にするまでに復活させたエピソードは、まさにプロレスの再生力を象徴しています。
混沌が生む強靭さ
清廉や品格が求められない、泡沫のようなプロレスだからこそ持ち得た生命力ではないでしょうか。
スポーツとして組織的にはコミッションや協会があったほうが、世間的な体面はいいと思います。
しかし、どっちにしろ腐っているんなら、最初からコミッションなんかないほうがいいんじゃないかとさえ、私は思ってしまうのです。
プロレスのしぶとい生命力
人生において、完璧に整えられた居場所は時として脆く、一度壊れれば修復が利きません。
しかし、プロレスは何度倒されても、どれほど泥を塗られても、カウント3前に肩を上げ、再び立ち上がる姿を見せてくれます。
たとえ団体が解散しても、選手たちは別のリングで、あるいは駐車場や路上でさえ「闘い」を継続します。
何度でも立ち上がる
この「何度でもやり直せる、どこででも立ち上がる」という泥臭くも強靭な構造こそが、傷つき、居場所を失うことを恐れる人間の心理に深く寄り添うのです。
時代の荒波に揉まれながらも、形を変え、しぶとく生き残り続けるプロレス。
その不滅のエネルギーこそが、私たちの迷える魂を「いつでも帰っておいで」と迎えてくれる、究極のセーフティネットとなっているのです。
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