プロレス的随筆徒然草(7) プロレスファンと推し活〜プロレスラーは誰に対して媚びているのか?後編
試合が団体の核
私はプロレス団体である以上、プロレスの試合が団体の核であるべきだと考えます。
しかし、プロレス団体は利益を出さねばならない興行会社である以上、チケット代だけでなく、多岐にわたり売り上げをあげていかねばなりません。
収益の柱
近年ではチケット代以外にも、物販やPPV、試合以外のファンイベントなど収益を上げる方法はたくさんあります。
会社にとっては収益の柱はどれでもよく、極端な話、試合内容が伴わなくても利益さえ上がれば問題はないという理屈も通ります。
そう考えてしまうと、その方向性は本当に正しいのか?と私でも疑問に思います。
真の推し活とは
プロレスにおける「推し活」とは、特定の推しのプロレスラーに対する熱狂的な応援活動を指しますが、推しがやることは全て肯定してしまうファンは、果たしてプロレスというジャンルのためになるのでしょうか?
むしろ、真の推し活はそこから一歩踏み込んで、媚びるレスラーを淘汰するような厳しい目をリングに向けられるところから始まるのではないでしょうか?
試合内容よりも
リングて行われるプロレスにリアルな心技体があれば、推しかどうかに関わらず、応援したくなりますが、現実はどうもそうではないような気がしてなりません。
私が知る限りの推し活では、試合内容よりも選手個人への愛着や応援が中心となる傾向が大きいように思います。
怒りで選手を鼓舞
もちろん、選手の頑張りを忘れずに、バランスを保ちながら楽しむことが大切なのは言うまでもありませんが、時にふがいない試合をしたら、怒りをもって選手を鼓舞することもファンのつとめではないかと思うのです。
そういう意味では、選手だけでなくファンもプロレスに対しての怒りを忘れてしまったといえるのかもしれません。
つまらなかったら怒れ
2011年2月に観戦したIGF福岡大会で、リングに上がったアントニオ猪木さんが、それまであまりにつまらない試合が続いたせいか、非常におかんむりでした。
そして怒りの矛先は見ているお客さんにも向いていきました。猪木さん曰く、お客さんもつまらなかったら怒れ、とリング上からマイクで観衆にアピールしました。
成熟したプロレスファン
しかし、この時代はもうすでにプロレスファンのスキルは、敢えてしょっぱい内容であっても、それをプロレスとして全て受け入れ、楽しもうという具合に成熟していました。
言い方を変えれば、プロレスに対してのハードルをめちゃくちゃ低くして、自分から能動的に楽しんでいくスタイルになっていたわけです。
怒りを忘れた腑抜け
そこには、昭和時代にあったプロレスへの本気度はかけらもなく、時に暴動すら引き起こした猪木さんからしたら、あの日集まった観客は怒りを忘れた腑抜けファンにしか見えなかったでしょうね。
プロレス団体の核は、試合の質、ストーリーテリング、収益の多様性、ファンエンゲージメント、選手の育成とプロモーションのバランスにあります。
バランスのよいファン
そして、プロレスファンも熱さと本気度を失ったかわりに、怒りも喜びも悲しみも笑いも全て受け入れてしまう、バランスのよいファンへと変貌していったのが、平成のプロレスだったと思っています。
もちろん、団体は利益を追求しつつ、ファンの期待に応えることは求められますが、試合内容やファンの満足度を重視することで、長期的な成功を築ることができるでしょう。
見た目重視
また飲食店でも、味よりもインスタ映えを重視する人々が増えていることは、SNSの影響力が大きいことを示しています。
これは見た目重視の現代において、推し活と無縁ではない傾向ではないかと思っています。
お客に媚びるな
しかし、あまりに推し活に媚びすぎるのは、逆にマイナスとなる場合もあり、特にレジェンドのレスラーたちはその匙加減をことさら高いレベルで要求されてきました。
アントニオ猪木さんはなくなる直前まで「時代時代でプロレスの形も変わるでしょう。しかし、レスラーが客に媚びる試合をしたら私はそこでプロレスは終わりだと思っています。客に媚びるのではなく試合内容で、力ずくで観客を振り向かせるような試合を今のレスラーにはしてほしいし、ファンの皆様にはそうした媚びるレスラーを淘汰するような厳しい目をリングに向けてもらえたら」と言い残されています。
棚橋社長の言葉
この「媚びる」というところでひとつ気になったのが、6月3日に就任半年会見を行った新日本社長・棚橋選手の言葉でした。
「ハウスオブトーチャーの介入があるから試合が面白くない」みたいな書き込みが結構あったりするんですけど、それが新日本プロレスの方にも届いているか?という記者の質問に対して、棚橋社長は「そうですね。Xであったりとかには、公式にも来てますし、ボク個人にも来てますので、『なんとかしてくれ』という声はしっかり届いてますので、社長としても会社としてもこのままにしておくわけにはいかないと。なんとかします」と答えています。
なんとかします、では
「苦情が来たからそれに合わせてなんとかします」という言葉を額面通りに受け取るならば、それはお客さんに媚びていることになります。
普通の会社ならそれでもOKですが、新日本プロレスはプロレスを売りにしている会社です。これでは正解にはなりません。
社長を糾弾
ただ、プロレスは表向きのコメントと水面下で動いている流れが違うことも多々あるため、棚橋社長が改善するといったからといって、本当にリング上がそうなるとも限りません。
当然、名指しされたハウスオブトーチャーのEVIL選手はこれに対して、アントニオ猪木さんの言葉を引用して「ファンの意見だと?踊らされやがってバカも大概にしろ。偉大なるアントニオ猪木も言ってただろ。『客にこびるな』と。その教えに背く裏切り者どもの言葉に耳を貸す必要なんてねえんだ、よく覚えとけ」と団体創始者の名前を用いて棚橋社長を糾弾しています。
大事なポイント
この抗争は果たして会社としての新日本プロレスが変わろうとしているのか?それとも、このやりとりをリング上のストーリーに落とし込んで、お客さんには媚びない新日本プロレスを見せたいのかを、ファンはしっかり見極める必要があります。
加えて、この「媚びる・媚びない」問題は会社として、グッズ等で大きな収益を会社に残す推し活をとるのか?それとも、時には耳の痛い事を言うファンをも大事にしていく姿勢を見せていくのか?も問われる大事なポイントだと思います。
プロレス文化を守るのか?
言葉が独り歩きした感はありますが、「すべてのジャンルはマニアがつぶす」といった木谷オーナーの発言は、耳の痛いことをいうファンには媚びないという解釈のされ方もしていますよね。
今新日本に問われているのは、媚びない試合内容で、新日本という看板とプロレスという文化を守っていく意思が、上層部にあるのかないのか?という点だと思います。
突然いなくなる存在
確かにプロレスに限らず、推し活というものがエンタメ界のメインストリームになっているのは間違いないところです。
ですが、推し活も程度が過ぎれば、エンタメをダメにしてしまう可能性もあるのです。お金をたくさんおとしてくれる太客は大事ですが、推しを気分次第で変えていく推し活は、ある日突然いなくなる存在でもあるのです。
そうとらえなおすと、推し活はエンタメにとってある種の劇薬ととらえてもいいのではないかと、私は考えています。
長い目線で
この傾向はエンタメ業界だけでなく、さまざまな市場に影響を与えている新しい問題とも言えます。
一方でプロレスというジャンルにとって、推し活は長い目線で付き合ってくれる良質なプロレスファンになりうる存在です。
未来のプロレス界を担う
もちろん、推し活も千差万別で中にはそれこそジャンルを潰すようなマニアに変貌する人もいるでしょう。
ですが、日本に定着して70年あまりになるプロレスが未来永劫続いていくためには、推し活も含めた若くて熱心なファンを、ベテランファンが歓迎して、受け入れて、未来のプロレス界を担う存在にしていく必要はあると思います。
推し活より深い沼
プロレスは特に長く付き合っていくと、その面白さが深まるジャンルです。できることなら、表面的な魅力で満足しているレベルのファンを、推し活より深い沼にはめて出られなくして差し上げたいもんです。
そんな事を私はいつも考えて、新しくプロレスを好きになってくれる人に対して、決して無理強いせず、あくまで自発的に沼にハマってもらえるように、プロレスファンを代表する気概を持ちつつ、これからも関わっていきたいな、と考えています。