プロレス的随筆徒然草 (4) プロレスファンと推し活〜プロレスラーは誰に対して媚びているのか?前編
推し活とSNS
今回はプロレスと推し活の話です。推し活は現代のファン文化において、重要なテーマだと考えます。
キーワードは、推し活とSNSですね。そこにプロレスの核とは何かという部分まで深掘りしていこうと思います。
推し活とは
さて、wikipediaによれば、推しとは
Wikipediaよりhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8E%A8%E3%81%97
「主にアイドルや俳優について用いられる日本語の俗語であり、人に薦めたいと思うほどに好感を持っている人物のことをいう」
そうです。
私は推しという言葉に少し違和感があります。「推し」という言葉に自己顕示欲や勝利への欲求の片鱗を見てしまうからです。
推しを推している自分
とくにSNS上での推し活を見ると、「推しを推している自分」を楽しんでいるだけにみえる時があります。
もちろんそれはそれで良いのでしょうけれど、心が狭い私は、推し活している人たちが、推しを「消費」しているように見えて切なくなるのです。
過度に行きすぎれば問題
一方で純粋に推し活を楽しんでいる方もたくさんおり、こちらはポジティブな意味で微笑ましくみています。
要はバランスの問題で過度に行き過ぎれば問題になりますし、適度な推し活なら、趣味として人間が日々をイキイキと過ごせる分には問題ないとも考えています。
パワーバランスが
ただ、近年ではこうしたパワーバランスが崩れ始めているような懸念もあるため、今回こうした考察のテーマにしてみたわけです。
そもそも趣味というのは、自己顕示欲を満たすためだけや、ましてや勝ち負けを競うためにやるものではありません。
試合内容より推し活
趣味自体は究極の自己満足ですが、同時に自己完結もしているので、第三者を巻き込む事は基本ありません。
しかし、プロレスファンの中には、試合内容よりも推し活に熱心な人が増えていることは事実です。
不毛な気持ち
推し活は、ファン同士が互いに支え合い、情報を共有することで一体感が生まれ、ブランドへの熱意が増す基盤となっています。
ただ、近年SNSで炎上している案件はだいたい推し活をやる人同士が自分の正義を振りかざして、自分とは異なる意見を叩き合っているようにみえて、私はとても不毛な気持ちに陥ってしまうのです。
自分の正義を押しつけ
推し活は「人に薦めたいと思うほど」のめり込んでいるため、下手をすると自分の正義を第三者に押し付けてしまう危険性もはらんでいるのです。
これは戦争と同じ構図ですね。特に宗教が絡んだ戦争は、大概異教徒征伐という正義のもとに、互いが正義を主張し合います。
結局、どちらも自分は正しいと思いこんで、正義の拳を振りかざしたあげく、どちらも矛を収めないまま、泥沼化していくわけです。
折り合いをつけて
私個人の意見はあくまで趣味である以上、他人に押し売りしない、自分の価値観や正義感を押し付けない、という前提は崩さないべきかな、と考えています。
とはいえ、例えば「このイラスト上手く描けたから、誰かにみてほしい」という自己顕示欲が全くないわけではないんで、そこは折り合いをつけて、上手くやっていきたいとも思っています。
共感した環状線の理論
プロレスに関していうと特定個人を推して渡り歩くより、私にはプロレスというジャンルそのものを世間に広めたいという願望が常にあります。
だからこそ、アントニオ猪木さんが提唱した環状線の理論には大いに共感しました。
根っこにあるものは
本心ではプロレスファンを増やしたいという気持ちも、世間にはびこるプロレスへの偏見や無理解と闘う気持ちもあります。
そういう意味でなら、私の根っこにあるものは推し活されていらっしゃる方々とそう変わりはないんでしょうね。
盛り下がる空気
ただ、プロレスというジャンルそのものを推しているからこそ、特定個人の推しが出ない時に、会場で盛り下がる空気出されちゃうと「なんだよ〜!」と残念に感じる事も否定できません。
プロレスの場合、推しが大会の全てに絡んで、常時顔を出すというケースは稀です。
女子プロレス
あくまでも特定の推しは興行というパッケージの中に含まれているパーツのひとつでもあります。
個人的には推しという言葉が出る以前から「推し」を相手に商売してきたのが、女子プロレスだと思っています。
推し活プロレス
昭和の昔はクラッシュギャルズ目当ての女性層に、平成の対抗戦ブーム以降はプロレスを観にくる男性に向けて、アイドル並みのファンサービスやグッズ展開で収益をあげてきた業界です。
男子レスラーならサインも写真も下手すればタダですが、女子プロレスだと全部有料になります。ツーショットだとさらに料金は跳ね上がりますね。
まさに推し活プロレスと言ってもいいでしょう。
女子プロレス特有の慣習
私自身はこうした女子プロレス特有の慣習を良いとも悪いとも思っていません。
個人的にグッズにはお金をかけたくないため、推し活という形でプロレスに関わっていないだけの話です。
試合内容より物販が
ただ、昭和から平成にかけては試合内容でもファンを黙らせていた女子プロレスでしたが、いつの頃からか試合時間自体が短縮され、10分〜15分一本勝負がずらりと並んで、大会自体の時間も短くなっていきました。
どうかすると、全試合後のサイン会やグッズ販売会の方が、大会全体の合計試合時間より長いこともざらにあるようです。
違う価値観
繰り返しますが、私は女子プロも推し活も否定しているわけではありません。
私とは違う価値観なんで、サイン会などにも基本参加しないだけです。
バランスがおかしいと
ですが、物販販売がメインになり、試合内容や大会のクオリティに影響が出るならば、それは「プロレス推し」として見過ごせません。
近年ではどの団体も物販に力を入れて、太客の獲得に躍起になっていますが、これもバランスがおかしくなり、行き過ぎれば、プロレスがおかしくなる懸念要因になりえるのです。
あくまで試合ありき
やはりプロレスはどれだけ時代が変貌しようと、あくまで試合ありきではないか、と思います。
WWEはスポーツエンターテインメントとしてとても素晴らしく、アメプロ好きな私としては、Abemaで放送開始されてからのRAWとスマックダウンを楽しみにしているユニバースの1人です。
WWEでも
そんなWWEですが、プレミアムライブイベントを別にすると、毎週のテレビ放送では、試合中にCMをバシバシ差し込んでいくスタイルをずっと続けています。
こういう放送スタイルも含めてWWEなんだと、私自身も割り切って見てはいるんですが、やっぱりプロレスは試合ありきて楽しんでいるため、どうしてもCMのカットインについては、もう少し何とかならないかな、と思う事もあります。
WWEの核とは
WWEが核にしているのは、スーパースターの人間関係を含めた壮大なストーリーであり、試合はプレミアムライブイベントやハウスショーで楽しむものだという割り切りで、わざとああいう見せ方をしているんでしょうね。
ただ、自分のプロレス感とは相入れない部分もある方がむしるプロレスを考える上では、大切な事でもありますので、WWEのスタイルそのものは否定しません。
違和感を我慢しない
否定はしませんが、私の中にある試合中のCMまたぎは嫌だ、という感覚も押さえ込んで我慢するわけではありません。
したがって、今後もWWEがあの中継スタイルを続けていき、私の中に違和感がなくならない限りは、何らかの形で発信し続けていくと思います。
考える喜びは放棄しない
もっとも、無条件に団体が提供するものを、推すだけ推して何も考えないのであれば。そっちの方が問題です。
そもそもプロレスについて考える喜びまで放棄しちゃうのは、私としては大変もったいないので、盲目的に推すよりは、自分のやりたい事や違和感にもしっかり向き合って、これからもプロレスは見続けていきたいと思っています。