プロレス的発想の転換のすすめ(36)嫌われる勇気の価値
嫌われる二つの型
今回は人に「嫌われる」というお話をしようと思います。
嫌われる人はざっくり分けて、「好かれようとして嫌われるタイプ」と「嫌われることを厭わず嫌われるタイプ」がいると思います。
アメリカ大統領に例えると、ヒラリー・クリントンさんが前者で、ドナルド・トランプさんは後者かな、と私は思います。
内藤哲也の転換点
さて、これをプロレスに例えるならば、好かれようとして嫌われるタイプの選手も一定数いますね。
新日本プロレスを席巻していたユニット「ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン」。
これを結成する前の内藤哲也選手はその典型でした。
しかし、彼は自ら嫌われることを選択した結果、かつてない支持を受け、飛ぶ鳥を落とす勢いのスター選手になっていきました。
好かれようとする姿勢が前面に出すぎると逆に嫌われるというのは、政治に限らずプロレス界にもあるわけです。
究極の悪役EVIL
そして今、この「嫌われる勇気」を最も過激に体現しているのが、「HOUSE OF TORTURE」を率いるEVIL選手ではないでしょうか。
彼はかつて内藤選手と同じユニットで活躍していましたが、反旗を翻し、文字通り「闇の王」へと変貌しました。
介入や凶器攻撃を厭わない彼のファイトスタイルは、会場中に凄まじいブーイングを巻き起こします。
しかし、徹底して「嫌われること」に振り切ったその姿勢は、もはや清々しさすら感じさせ、今のプロレス界に欠かせない巨大な存在感を放っています。
究極のヒール対決
さてトランプさんはああ見えて賢い人だと私は思います。
そして「嫌われる勇気」も持ち合わせている人です。
よい例がレッスルマニア23
でビンス・マクマホンと対峙した「代理人髪切りマッチ」でしょう。
結末はビンスさんが負けて丸坊主になりましたが、ポイントは、実はどちらもベビーフェイス(善玉)ではないところにあります。
観客が望む敗北
一見すると「善が勝ち、悪が負けて観客が溜飲を下げる」パターンは誰しも想像しやすいでしょう。
しかし観客がより望むのは、誰かが勝つことではなく、「嫌な奴が負けること」なんですね。そう考えると、ビンスさん対トランプさんの闘いというのは、どちらが坊主になっても、お客さんは損しない試合なわけです。
好かれたい人の限界
好かれたい人には理解しがたいでしょうが、おそらくビンスさんもトランプさんも「観客が何を望んでいるのか?」を十分理解してリングに上がっていたはずです。
つまり自分たちは決して好かれてはいない、しかし敢えてどちらかが丸坊主になるなら、どちらが望ましいか。
レッスルマニアではビンスが望まれ、大統領選挙ではトランプさんが望まれたわけです。ここには「好かれたい人」が入る余地はありません。
覚悟が欠けた政治家
おそらくトランプさんもクリントンさん同様に「好かれたい候補者」だったならば、どちらも選べなくなったアメリカの有権者は「棄権」という選択肢を選んだのではないでしょうか。
日本の政治家は概ね嫌われたくない人ばかりなので、日本の選挙が盛り上がらないのは、候補者がみな好かれたい一心で媚を売っているのが丸見えだからだと私は思います。
嫌われる勇気のある政治家ならば、間違っても萩生田光一・現自民党幹事長代行が、かつて野党の国会対応を「田舎のプロレス」と表現して、発言の撤回と謝罪に追い込まれはしないはずです。
なぜならプロレスは、嫌われる勇気のない人間にはできないスポーツだからです。
憧れを超えた内藤
くだんの内藤選手は誰しもが認める身体能力の高さが売りでしたが、ベビーフェイス時代はなかなか頭角を現せずにいました。
しかし、一旦腹を括ってからは見違えるような活躍ぶりを見せています。
2017年の東京ドームでは、かつて「憧れの存在」とまで公言していた棚橋弘至選手を破り、ある意味で引導を渡しました。
負けた棚橋さんの姿には、「好かれたい人」の時代の終焉を見た思いでした。
嫌われる勇気の時代
考えてみたら棚橋さんも、かつては散々嫌われることをし、そうした道のりを経て現在があったはずなのですが、やはり好かれようとすると、どこかで「嫌われること」を忘れてしまうのかもしれません。
こうしてみると、これからの世の中はいずれ、EVIL選手のように嫌われることを厭わない人間の時代になりそうな気が私にはしているのです。
貫く意志とプロレス
「嫌われる勇気」とは、単に無礼に振る舞うことではありません。
それは、自分の信念を貫くために、他者からの評価という鎖を断ち切る覚悟のことです。
プロレスにおける「ヒール」が時として主役を食うほどの輝きを放つのは、彼らが誰よりも自由に、自分の足でリングに立っているからでしょう。
私たちがプロレスという激しい闘いに熱狂するのは、嫌われることを恐れず、己の生き様をさらけ出すレスラーの姿に、真の自由を見ているからなのかもしれません。
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