プロレス的発想の転換のすすめ(48)プロレスという究極の闘い
真の娯楽とは何か
いきなりですが、プロレスはスポーツでしょうか?エンターテインメントでしょうか?それとも八百長なのでしょうか?
結論から先に言うと、私は、エンターテインメントというのは、結末が決まっていようがいまいが楽しめるものこそが、真の姿だと思っています。
そしてプロレスは、たとえ結末を知っていても十分に楽しめます。
もともと「八百長」というのは相撲用語ですが、プロレスにも相撲から輸入され、そのまま定着したのだと思われます。
ただ、大相撲とプロレスは、性質上全く違う競技です。
大相撲は勝敗が娯楽に直結していますが、プロレスでは必ずしも勝った負けただけが重要視されるわけではありません。
勝敗が持つ真の意味
では、勝敗が絶対でないのであれば、プロレスになぜ勝敗が必要なのでしょうか?
プロレス界には古くから「観客を呼べる者がナンバーワンである」という考え方があります。
要は、お客さんに喜んでもらえる形にすること。
そして時にはその期待を少しだけ裏切ることも、この「闘い」には必要になります。
これは一般的な勝負論とは大きく異なります。 ここで、負ける側にも勝つ側にも、お客さんを納得させられる技能がなければ、エンターテインメントそのものが成り立ちません。
「強い・弱い」の二元論では到底語りきれないのが、プロレスにおける勝敗の深みと言えるでしょう。
技術を見せる美学
お客さんが試合を見ているという前提のもとで、磨き上げた技術を披露する。
それこそがエンターテインメントの本質ではないでしょうか。 大相撲にも、男同士がぶつかり合う迫力や、小兵の力士が技術を駆使して大型力士を倒す醍醐味があります。
しかしプロレスは、より「見られていること」を意識した技術の応酬に特化しています。
お客さんの前で、自分たちが心血を注いで磨いた技を見せていく。この姿勢は、相撲もプロレスも共通するプロの矜持です。
命懸けのシナリオ
プロレス八百長論になると必ず「台本があるから安全だろう」という意見が出ます。
仮にプロレスが「馴れ合い」としての八百長だとしたら、ファンが最も嫌う部分でしょう。
しかし、これが本当に「馴れ合い」で済まされるのか、一つの事例をご紹介します。
2021年4月11日、フロリダ州で行われた「レッスルマニア37」で、ブラウン・ストローマン選手対シェイン・マクマホンさんの「闘い」が組まれました。
両者は巨大なスチールケージ(金網)の中で激突。ストローマン選手はケージを破壊してシェインさんをリングに引き戻すと、最後はケージの頂上からシェインさんを突き落とし、勝利を収めました。
巨大組織の管理能力
シェイン・マクマホンさんはWWEオーナー、ビンス・マクマホンさんの息子です。
普通の人なら、台本があっても躊躇するほど危険な内容です。
さて、八百長論を唱える方は、これを「台本通りだから」と平然と実行できるでしょうか?
WWEは台本の存在を公言しています。辣腕マネージャーのポール・ヘイマン選手は「大規模な契約を守り、スキャンダルを避けるために環境をコントロールするのは当然だ」と語っています。
株主や投資家の権利を守るため、発言や行動を管理する必要があるのです。
馴れ合いを超えた絆
しかし、試合内容も同様に管理されているとはいえ、次世代の社長候補が金網の頂上から突き落とされるシナリオに、自らOKを出して実行するのは、常軌を逸しています。
もし台本があったとしても、これが「馴れ合い」でできるでしょうか?
シェインさんはパートタイムの出場ながら、プロ並みのトレーニングを積み、高い身体能力と受け身の技術を持っています。
2019年には難易度の高い「シューティングスタープレス」も決めています。彼らは、決められた結末に向かって、命を削って「闘い」を見せているのです。
スポーツを凌駕する力
プロレスはエンターテインメントとスポーツを足して二で割ったものではなく、エンタメを凌駕し、スポーツよりも凄いものであってほしい。それが私の願いです。
プロレスを成立させるには、厳しいトレーニングと、観客の鑑賞に耐えうる技、そして高い受け身の技術が不可欠です。
それらがなければ、お金を払って見に来てくれるお客さんを納得させることはできません。
感動が議論を黙らせる
結末はどうあれ、その過程に素晴らしさや驚き、感動があれば、観客はカタルシスを得ることができます。
八百長論を完全にゼロにすることは難しいかもしれません。
しかし、それを黙らせる唯一の方法は、命がけで鍛え抜かれた人たちが、ひたすら純度の高い「闘い」を見せ続けることではないでしょうか。
多くの選手が命を落としてきた歴史の上に、今のプロレスは成り立っています。
事故を乗り越え、技術を磨き、エンターテインメントとしての素晴らしさを証明し続けること。それが「闘い」の価値を最も明確に説明する手段なのです。
時間は有限、今この瞬間を刻む
時間は有限です。私たち人間に与えられた時間は決して無限ではなく、プロレスラーの現役生活もまた、常に終わりと隣り合わせの「有限」なものです。
一瞬のミスが選手生命を奪いかねない過酷なリングの上で、彼らは「今、この瞬間」を最高のものにするために命を燃やしています。
結末が決まっているかどうかという議論に時間を費やすよりも、限られた時間の中で、彼らがどれほどの覚悟を持って肉体をぶつけ合っているかを見届けること。
その有限な時間を共有し、カタルシスを感じることこそが、プロレスという「闘い」を観戦する真の価値なのです。
私たちは、彼らが命を削って紡ぎ出す物語を、大切に受け取っていかなければなりません。
まとめると……
- プロレスでは、負ける側にも勝つ側にも、お客さんを納得させられる高度な技能が必要。
- プロレスは、お客さんの前で、自分たちが磨き上げた技術を「闘い」として見せていくもの。
- プロレスには、エンターテインメントを凌駕して、スポーツよりも凄いものになってほしい。
今回はプロレスのエンターテインメント性について、私なりの見解をお話しさせていただきました。
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