プロレス的発想の転換のすすめ(61) 何もしない贅沢と力
忙しさと充実の勘違い
今回は「何もしないこと」と「プロレス」についてお話しします。
がんを患う前、私はとにかく空いた時間にひたすら予定を詰め込んでいました。
要するに、当時「暇な時間」というものは存在しませんでした。
「忙しければ忙しいほど、人生は充実している」と思い込んでいたのです。
心の声に素直になる時
この傾向は、心を病んだ時も顕著でした
。すでに身体が悲鳴を上げ、動くことさえままならなかったにもかかわらず、私は知識や予定をインプットし続けました。
しかし、昨年ふと「楽になりたい」という身体の声に素直になり、そのまま何もしないで過ごしてみました。
最初は非常に居心地が悪かったのですが、あえて「何もしない状態」に身を置くことで、はじめて心身から力が抜けていきました。
いかに普段の生活で、無駄に力んで生きてきたかを思い知らされたのです。
若手時代の手数の多さ
プロレスの技においても、力んでいるとどんどん袋小路にはまり、脱出が難しくなります。
そこから力を抜いてうまく状況を打開していくのも、技術のひとつです。
若いうちは、自分の引き出しを増やす意味でも、色んな技にチャレンジするのは悪くないでしょう。
ですから、選手としてキャリアが浅いうちは、どうしても手数の多い試合をしがちになります。
足し算が生む派手な技
しかし、プロレスラーは年齢を経ていくにしたがって、繰り出す技の数が少なくなっていくものです。
これはレジェンドと呼ばれる選手たちに共通する特徴です。
若手の頃は、基礎の上に派手な技をどんどん積み重ねていく。
私はこれを「足し算のプロレス」と呼んでいます。
若いうちはそれを行う体力もあり、実際に新しいものを足していくのが楽しくて仕方ない時期なのだと思います。
余分を削ぎ落とす美学
年齢を重ねるにつれ、だんだんと余分なものを削ぎ落としていく感覚が楽しくなってくるのではないでしょうか。
私自身も「足し算」に魅了されていた時期がありましたが、経験を積むにつれ、よりシンプルで奥深いものに惹かれるようになりました。
本当に必要なものだけを残す。
これこそが、熟練のレスラーが到達する境地です。
伝説の闘いに学ぶ極意
たとえば、アントニオ猪木選手対大木金太郎選手の闘いは、極論すればバックドロップと大木選手の頭突きだけで構成されていました。
にもかかわらず、その闘いは観る者の魂を揺さぶる、ものすごい内容だったのです。
いらないものを徹底的に削ぎ落とし、純度の高いものだけをリングに残す。
これこそが「引き算のプロレス」の真髄と言えるでしょう。
年齢が武器になる瞬間
年齢とともに体力は落ちていきます。
レジェンドの方々は、その変化をカバーするためにどうすべきかを考え抜いたはずです。
}「足し算」は若い時にしかできない特権ですが、それを手放すことによって、はじめて「引き算のプロレス」が生み出されるのです。
プロレスの奥深さを知らなかった頃の私には、この引き算の美学はまだ理解できなかったかもしれません。
豊かに生きるための技
そう考えると、どちらが良い悪いということではなく、この「引き算」を人生に当てはめてみたくなります。
今の自分にも、まだ捨て去れる無駄なものがあるのではないか、と感じるのです。 年を取ることは、決して悪いことばかりではありません。
年齢に合った考え方や所作を、日常生活という名の「闘い」で表現できたら、これほど素敵なことはありません。
プロレスの美学を人生に活かすことで、また少し違った景色が見えてくるはずです。
何もしない事とプロレス
プロレスには「間」という概念があります。攻め続けることだけが正解ではなく、あえて動かない瞬間が観客の期待を増幅させ、次の技を輝かせます。
人生における「何もしない時間」も、このプロレスの「間」と同じではないでしょうか。
何もしないことは、決して停滞ではありません。
次の一手で最大の力を発揮するための、高潔な「引き算」なのです。
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