プロレス的発想の転換のすすめ(95) プロレスと痛みの表現
痛みを知る当事者
今回は「痛みとプロレス」についてお話しします。
極端な話をすれば、殴るか殴られるかの現場において、その痛みが本当にわかるのは当事者同士だけです。
第三者への伝達
これはプロレスに限らず、広く格闘技全般においても同様で、本当に痛いかどうかは第三者には正確には伝わりません。
しかし、観客を招いて試合を見てもらうというスタンスをとる「プロスタイルの闘い」となると、話は別です。
表現者としての覚悟
私は、リングの上に立つ以上、ロープの中にいる選手は単なるスポーツマンではなく、「表現者」でなくてはならないと考えます。
これも極端な話になりますが、リングの中で繰り出される技が、当事者にとって本当に痛いかどうか自体は、さほど重要ではありません。
観客の心を動かす
重要なのは、見ているお客さんに「痛ーっ!」「今のは痛いっ!」「痛そう……」と思わせることです。
この点を、他の競技と比較しながら考察してみたいと思います。
安全を守るグローブ
例えばボクシング。選手の拳はバンテージに覆われ、その上からグローブをはめています。
むき身の拳で殴り合えば、殴られた方も痛いですが、殴る方にも拳の骨折などのリスクが生じます。
スポーツという枠組み
何より素手での殴り合いは、原始的で野蛮だと私は感じますので、それをそのままスポーツの範疇には入れたくありません。
ボクシングは、拳以外の攻撃が禁じられていることや、グローブの使用など競技者への安全・安心を配慮した上で、スポーツとして成立していると私は考えます。
プロレス独自の掟
では、プロレスの場合はどうでしょうか?
一般的なプロレスのルールでは、顔面へのナックルパート(パンチ)は禁止されていますが、ボディへの殴打は基本的に認められています。
打撃に宿る説得力
ここで問題なのは、プロレスに「相手をKOするほどの打撃」が必要かどうかという点です。
私は、その打撃に「痛みが伝わる表現」がなければ、たとえKOする威力があろうが、受けた選手が実際に悶絶していようが、プロとしての価値には関係ないと思っています。
評価を分ける表現力
繰り返しになりますが、重要なのは見ているお客さんが「痛い!」と心から感じることなのです。
プロレスが他の格闘技と決定的に違うのは、第三者に対して「痛みの機微」を伝える必要がある点です。
そこでは単なる強さだけではなく、その表現方法そのものが、選手の評価に直結しているのです。
心に響く強さの形
人間心理として、人は「理解できない強さ」よりも「共感できる痛み」に強く心を揺さぶられます。
どれほど屈強な肉体を持っていても、その痛みが観客の心に届かなければ、それはただの物理的な衝突に過ぎません。
プロレスラーが超人として愛されるのは、常人には耐え難い衝撃を受け止め、その苦悶と立ち上がる意志を可視化してくれるからです。
つまり、プロレスという闘いにおいて、強さとは数値化できる能力だけではなく、その痛みをどう分かち合うかという「表現方法」にこそ真髄があるのです。
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