プロレス的発想の転換のすすめ(117) 思い出と闘うプロレス
記憶を語る価値
今回は思い出とプロレスのお話をしてみたいと思います。
ブログにしろYouTubeにしろ、私は思い出を語る形でプロレスを表現しています。
あえて過去を語る
それは「昔はよかった」という懐古主義ではなく、ここまで生きてきた時間が積み重なったからこそ今があるのだと言いたいために、あえて過去を語っています。
そもそも「今を生きる」とは、どういうことでしょうか。
五感で今を感じる
自分に備わっているさまざまな感覚を丁寧に受け取ると、五感を使って新鮮な空気、爽やかな風、温かい日差しなどを感じることができます。
また、私たちには「感情」もあります。
心の声に寄り添う
感情には「愛」のほかにも、体を動かす気持ちよさ、声を出す心地よさなど、言葉では言い表せない響きがあります。
その上で自分の心に寄り添った決断や行動をすれば、自分の意志を尊重できたことに喜びを覚えることができるはずです。
今を生きる充実感
こうして自分に備わっている感覚や感情に焦点を当てれば、たくさんの満足感、充実感、幸福感を発見するでしょう。
これこそが「今に生きる」ということではないでしょうか。
重ねた歴史の重み
過去や未来にとらわれず、今を懸命に生きている人は素敵です。
しかし、積み重ねてきた歴史の上に現在があるとしたら、これまで生きてきた時間もまた、かけがえのないものになっていると私は思います。
思い出を反芻する
もちろん、ネガティブな過去に振り回される必要はありません。
しかし、ポジティブな思い出なら何度でも反芻して「今を気持ちよくする」糧にできるはずです。
プロレスの過去
そもそもプロレスにおける「過去」とは、概ねポジティブなものであると私は考えています。仮にネガティブな事件があったとしても、それすらポジティブに捉え直すことさえ可能なのです。
過去との真剣勝負
ですから、プロレスにおいては必要以上に過去を否定する必要もありません。
では、現在のプロレスは果たして過去と「闘い」を繰り広げているでしょうか。昔を超えようとしているでしょうか。
過去から逃げない
ベテランが若手に席を譲る、あるいはベテランにはチャンスを与えないことで思い出を封印し、今だけを見せようとするやり方は、決してポジティブだとは思いません。
それは過去との「闘い」から逃げているからです。
世代交代の真髄
プロレスラーならば「闘い」を通じて現在の地位を確立すべきですし、今に抗うことでベテランもまた輝くはずです。そうして激しく凌ぎを削り、世代交代してきたからこそ「今のプロレス」があるわけです。
魂に刺さる表現
過去に禅譲された椅子の上に座っているだけのスター選手は、本当に魅力的に見えるでしょうか。そのくせ都合のいい時だけ過去の栄光を引っ張り出しても、観客の心には刺さらないでしょう。
過去を越えていく
プロレスラーであるならば、過去と「闘う」べきだと私は思います。
それは、いかに選手のサイズが小さくなろうと、スタイルの主流が変わろうと関係ないはずです。
未来を創る抗い
思い出に抗って、その先に未来をつくるものこそがプロレスラーでしょう。もちろん、過去は決してやり直すことはできません。
自由意思の選択
過ぎ去った時間は元に戻せません。
今という時間をどれだけベストにしていくかは、それぞれの自由意思であり、選択の結果です。
過去を糧にする今
しかし、今というこの時間は過去の上に成り立っているもので、その歴史を都合よく消し去ることはできません。もちろん、ネガティブな過去をリセットすることは間違いではありません。
線で観る面白さ
ですが「プロレスは点ではなく線で観る」とさらに深みが増して面白くなる、という特性を忘れてはなりません。
1試合をただ観るだけでは、単なるひとつの「点」にしかなりません。
感情移入の深淵
そのひとつひとつの「闘い」を重ねて観ることで、選手同士で生まれる因縁やライバル関係を感じることができます。やがて点が線となり、感情移入がより深まっていくのです。
歴史が紡ぐ物語
そして、その因縁やライバル関係が時を超えた物語を紡いでいきます。
プロレスファンが見ているのは、単なる勝敗よりも「生き様」です。目の前の「闘い」に一喜一憂する以上の満足感がそこにはあります。
これこそ、過去を否定しては決して得られない感動なのです。
生き様を誇る闘い
人間心理において、人は単なる結果よりも「なぜそうなったのか」という背景に心を動かされます。プロレス界には、勝敗を超越して伝説となった「闘い」が数多く存在します。
たとえば、かつての大仁田厚選手と真鍋由(まなべ・わい)アナウンサーのやり取りや、リング上での壮絶な散り様を思い出してください。
あるいは、怪我や病を乗り越えてリングに立つ選手の姿はどうでしょうか。
論理的な勝敗で言えば、満身創痍の選手が負けるのは自明の理かもしれません。
必死に生きる人間の美しさ
しかし、観客が涙し、熱狂するのは、ボロボロになっても立ち上がるその姿に自分たちの人生を重ね合わせるからです。
ファンは、リング上の選手がこれまでの人生で何を背負い、何を捨ててきたのかという「点と線の物語」を読み取ります。
たとえ試合に敗れたとしても、その過程で己の信念を貫き通したならば、それは勝利以上の価値を持つことがあります。
私たちはプロレスという鏡を通して、不器用ながらも必死に生きる人間の美しさを観ているのです。
記憶に刻まれる「生き様」
結局のところ、記録に残る勝敗より、記憶に刻まれる「生き様」を重視する。
それこそが、プロレスという「闘い」が持つ唯一無二の魅力であり、私たちの人生にも通ずる真理なのです。
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