プロレス的発想の転換のすすめ(88) プロレスの色の違い
ヒーローは孤独か
「群れるのが好きか、それとも孤独を好むのか」。
今回はこのテーマについて考察してみたいと思います。
少なくとも昭和を代表するヒーローたちは、群れることをよしとしない傾向がありました。
仮面ライダーしかり、あしたのジョーしかり。ヒーローは常に孤独と背中合わせの存在として描かれていたのです。
団体の路線の違い
では、プロレス界ではどうでしょうか。
かつての新日本プロレスと全日本プロレスでは、明確に路線の違いが存在していました。
NWAに加盟し、アメリカとの太いパイプを持っていたジャイアント馬場さんの全日本プロレスには、きら星のごときスーパースターたちが毎シリーズ来日していました。
全日のタッグ文化
こうしたスーパースターたちをできるだけ多くファンに見せるには、シングルマッチを並べるよりもタッグマッチを多く組むのが必然でした。
一方で、日本プロレスを「追放」される形で独立したアントニオ猪木さんの新日本プロレスは、当初は海外とのパイプもなく、所属選手も少なかったのです。
新日の苦難の歴史
坂口征二選手らが合流するまではテレビ放送もつかず、スター選手は猪木さんただ一人。
こうした状況では、そもそもタッグマッチを数多くマッチメイクすること自体が不可能でした。
この「持たざる者」としてのスタートが、後の団体のカラーを決定づけます。
現代へ続くスタイル
不思議なもので、このイメージは全日本プロレスが「四天王プロレス」を確立してシングル志向を強めても、同様の傾向が見られました。
また、新日本プロレスが国内唯一のメジャー団体として海外と太いパイプでつながった現在でも、その本質的な部分はあまり変わっていないように見受けられます。
タッグの扱いの差
例えば、かつて新日本プロレスでは年末のタッグリーグ戦で勝ち上がったチームには、東京ドームでのタッグ選手権において王者に挑戦できるという、「G1 CLIMAX」と同じ特典がありました。
しかし、毎年いまひとつ盛り上がりに欠ける印象が拭えませんでした。
しかもドームの本番では3WAYマッチになることもあり、どこか扱いがぞんざいな印象を与えてしまいました。
徹底したシングル重視
「G1 CLIMAX」の覇者とIWGP王者の闘いが3WAYになることは、まずあり得ない話です。
新日本プロレスが未だにシングルを重視し、タッグを二の次にする傾向は、もはや「お家芸」とも言えるでしょう。
この徹底したシングル志向は、創設時の「お家事情」が色濃く反映されているのだと私は考えています。
ファンの抱くイメージ
実際、かつてのファンも「シングルは新日本、タッグは全日本」というイメージを抱いていました。
それゆえに、「G1 CLIMAX」は「チャンピオン・カーニバル」よりも格上、一方で「世界最強タッグ決定リーグ戦」は「MSGタッグリーグ戦」よりも権威があるといった印象が定着していたのです。
ユニットの在り方
新日本プロレスの場合、正統派の選手が共闘のためにユニットを組むことは稀です。
棚橋弘至選手はまさに「孤高のエース」でしたし、真壁刀義選手のGBHも、相方の本間朋晃選手が欠場していた時期は機能していませんでした。第三世代の面々に至っては、そもそもチームでもユニットでもない個の集まりです。
王座乱立の皮肉
シングル重視の視点で考えると、本来は数多ある世界王座を統一する目的で作られたはずのIWGPにおいて、現在シングル王座が乱立している状況も、ある種の納得感があります。
対照的に、かつてNWAを筆頭に各種王座が混在していた全日本プロレスは「三冠統一」を成し遂げました。
現在の新日本プロレスの状況と比べると、何とも皮肉な話です。
棚橋対飯伏の激闘
さて、2017年11月5日のエディオンアリーナ大阪。IWGPインターコンチネンタル選手権、棚橋弘至選手(王者)対飯伏幸太選手(挑戦者)のカードが組まれました。
この闘いの中で棚橋選手は、かつて力道山さんも得意としていたフライング・ヘッドシザース・ホイップや、インディアン・デスロックなどの古典的な技を繰り出し、飯伏選手を大いに翻弄しました。
受け継がれる猪木イズム
派手なパフォーマンスで目を引きつつ、堅実なレスリングで魅了する棚橋選手は、まさに猪木さんの系譜を受け継いでいると言えます。
棚橋選手の試合が真に面白くなるのは、決まって「ヒール的」な立ち振る舞いを見せる時であり、これもまた一つの「猪木イズム」の体現ではないでしょうか。
エースは孤独である
シングル戦では数々の名勝負を生んできた棚橋選手ですが、その一方でタッグでの活躍はあまり記憶に残っていません。
そもそも、彼には長年「正規のパートナー」と呼べる存在が不在でした。
エースという存在がいかに孤独であるかを物語っているようです。
新日本という血統
もちろん、自ら「観客を裏切らない」と宣言した棚橋選手には、猪木さんとは明確に異なる部分もあります。
それでも、彼が歩んできた道のりや闘いのスタイルを見れば、新日本プロレスという血統から生まれた選手であることは疑いようのない事実でしょう。
団体によって違う路線や方向性
人は安心を求めて群れを作る心理と、己の力を証明するために孤高を貫く心理の間で常に揺れ動いています。
プロレスというジャンルは、その人間心理の葛藤を「団体のカラー」として昇華させてきました。
仲間との絆を重んじ、連携の美学を見せる全日本的な多人数主義か、あるいは自己のアイデンティティを懸けて独りでリングに立つ新日本的な個人主義か。
こうした団体によって違う路線や方向性は、単なる経営方針の差ではなく、私たちが社会の中で「どう生き、どう闘うか」という深層心理の投影そのものなのです。
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