[プロレスブログ] プロレス的発想の転換のすすめ(23) 感謝を力に変える「心の闘い」

[プロレスブログ] プロレス的発想の転換のすすめ

プロレス的発想の転換のすすめ(23) 感謝を力に変える「心の闘い」

感謝を受け取る「受身」の真髄

「ありがとう」という言葉は、本来、受け取る側を温かい気持ちにさせる魔法の言葉のはずです。しかし、現代社会という過酷なリングに立つ私たちは、この言葉を投げかけられると、どうにも居心地が悪くなったり、素直に喜べなかったりすることがあります。

私自身もかつてはそうでした。他人からの「ありがとう」という言葉を、額面通りに受け取ることが極めて困難だったのです。誰かに感謝されると、脊髄反射的に「自分にはそんな価値はない」「何か裏があるのではないか」と疑念を抱いてしまう。あるいは、感謝されることで相手に「貸し」を作ってしまったような、目に見えない債務感を抱いて苦しんでいました。

このように感謝の言葉を受け取れない原因の多くは、自分を守るための「心の筋肉(自己肯定感)」が不足していることにあります。

期待への恐怖: 「次も同じ成果を出さなければならない」というプレッシャー。

自己不全感: 「自分にはそんな価値がない」という思い込み。

精神的負債感: 「何かをお返ししなければならない」という心理的負担。

これらは、プロレスで言えば「受け身の練習をせずに大技を受けている状態」です。何の準備もなくバックドロップやパワーボムを食らえば、首を痛め、再起不能になってしまいます。それと同様に、心の準備が整っていない状態で強烈な「感謝」をぶつけられると、私たちの心はまともにその衝撃を食らい、パンクしてしまうのです。この心の葛藤こそが、自分自身との最初の「闘い」となります。

避けない強さの真髄:受けの美学

この「感謝を受け取れない」という心の癖を克服するヒントは、意外にもプロレスの世界に隠されています。プロレスという競技の特異性は、相手の技を「避けない」ことにあります。ボクシングや総合格闘技が「いかに打たせずに打つか」を競うのに対し、プロレスは「いかに相手の技を真正面から受け、その上で立ち上がるか」という、過酷な「闘い」を通じて己を表現する芸術だからです。

プロレス界には「受けの美学」という言葉があります。格闘技としての強さだけでなく、相手のパワーを全身で受け止め、それを自らの光に変えていくプロセスに、観客はカタルシスを覚えるのです。感謝を受け取るという行為も、まさにこのプロセスに似ています。

かつての名レスラーたちは、なぜあえて技を受けるのでしょうか。それは、相手の力を引き出し、自らの限界を超える「闘い」を見せるためです。相手が渾身の力で放ったラリアットを、避けずに胸を突き出して受ける。その衝撃で倒れ、悶絶しながらも、最後には立ち上がる。その姿こそが、観客の心を打ち、感動を呼ぶのです。

日常生活においても、相手の「ありがとう」をスルーしたり、謙遜という名の盾で弾き返したりするのは、プロレスで言えば「技をスカす」行為に近いと言えます。そればかりでは、本当の意味での人生の「闘い」は成立しません。たとえ気恥ずかしくても、むず痒くても、相手の「ありがとう」を正面から受け止める。それは、プロレスラーが命懸けで受身を取るのと同様に、非常に勇気と体力がいる「自己との闘い」なのです。

小橋建太に学ぶ覚悟:絶望からの復帰

プロレスにおける「受け」の凄絶さを象徴するのが、かつて全日本プロレスで「四天王プロレス」と呼ばれた時代を築いた小橋建太選手です。彼は相手の強烈なマシンガンチョップや、喉元を切り裂くような剛腕ラリアット、そして命を削るような脳天落としを、逃げることなくその身に刻み込みました。

小橋選手は、決して技を避けて勝利を掠め取ろうとはしませんでした。対戦相手の最高の大技をすべて受け切った上で、最後に自らの拳を突き上げる。観客は、ボロボロになりながらも相手のすべてを受け止める彼の姿に、魂の震えるような感動を覚えたのです。時には、場外のコンクリート床の上で猛烈な投げ技を食らいながらも、彼は再びリングへと這い上がりました。その姿は、私たちに「どんな衝撃からも立ち上がれる」という、闘う者の希望を提示してくれます。

これを精神面に置き換えると、感謝を受け取るためには「心のコンディション」を整える必要があります。自己肯定感が低く、心が痩せ細っている状態では、相手の温かい言葉さえも「自分を破壊する衝撃」に感じられてしまうからです。プロレスラーが首を太く鍛え、背筋を盛り上げ、全身を鋼のように練り上げるのと同様に、私たちも「感謝という重い技」を受け止めるための心の筋肉を鍛えなければなりません。

小橋選手が癌という病から復帰した際、リング上で浴びた「お帰り」という大声援。彼はそのすべてを、全身を震わせながら受け止めました。感謝を拒絶することは、相手が差し出した最高の「技」を無効化することです。小橋選手のように、真っ向からそれを受け止める覚悟を持つことで、自分自身の存在意義を肯定する「内なる闘い」に勝利できるのです。

猪木の「風車理論」:無となり受け流す極意

かつて「燃える闘魂」アントニオ猪木さんは、数々の死闘を通じて「風車の理論」を提唱しました。

この理論の真髄は、相手の技を下手によけたり、真っ向から力んで受け止めたりすることにはありません。風を受け流す風車のように、風の抵抗に逆らわず、自分自身を「無」とすることにこそ、その本質があります。風車は強い風が吹けば吹くほど、それに逆らうのではなく身を任せて回転します。自分を無にすることで風を逃がし、結果として風車自体にダメージは残りません。

日常生活における「感謝」を受け取る際も、この境地が求められます。私たちはつい、「自分なんかが感謝されていいのか」と余計な自意識という抵抗を作ってしまいます。しかし、それでは心の風車は言葉のエネルギーという「強い風」に耐えられず、壊れてしまいます。猪木さんが語ったように、飛んできた言葉に対して自分を「空」にし、逆らわずに受け流す。そうすることで、その言葉は自分を傷つける重圧ではなく、自分を前へと進める回転エネルギーへと変わるのです。

猪木さんは、モハメド・アリさんとの死闘においても、自分を殺し、相手の攻撃を無効化するスタイルを貫きました。相手のエネルギーを一度自分の中に取り込み、抵抗せずに流す。この「無の境地」こそが、人生という「闘い」における究極の受身なのです。

また、猪木さんは「馬鹿になれ」とも言いました。感謝を深読みし、疑ってしまうのは、私たちが「賢く」なりすぎ、自我という抵抗が強すぎるからかもしれません。時には思考を止め、猪木さんのように飛んできたエネルギーに対して「無」になる「心の馬鹿」になることも、過酷な「闘い」を生き抜くための秘訣と言えるでしょう。

三沢光晴の芸術的受身:静かなる闘志

伝説のプロレスラー、三沢光晴氏は、相手のえげつない打撃を無表情で受け続け、最後に一撃のエルボーで逆転するスタイルで知られました。全盛期の三沢さんの受身は「芸術」と称されるほど美しく、そして過酷なものでした。

三沢選手の凄さは、どんなに激しい攻撃を受けても、その「受け」の質が落ちないことでした。相手の力を殺さず、かつ自分の致命傷を避ける絶妙な技術。これは長年の過酷なトレーニングによって培われたものです。私たちの日常という「闘い」でも、理不尽な批判や、逆に過剰な期待という「重い技」が飛んでくることがあります。三沢さんのように「エルボー(自分の信念)」を繰り出すためには、それまでの攻撃をすべて受け切る「心の器」が必要です。

「ありがとう」を拒否せず受け取れるようになると、不思議とネガティブな言葉に対する耐性もつきます。「良いものを受け取れる人は、悪いものの流し方も上手い」のです。プロレスラーがどんな大技も受身で流すように、私たちも感謝を受け取る練習を重ねることで、心の中に柔軟なクッションを作ることができます。

また、プロレスファンであれば、自分がリングという名の日常に立っている姿を想像してみてください。観客席(周囲の人々)からの「ありがとう」という声援を、全身の細胞で浴びるイメージを持つ。トレーニングに裏打ちされた自信を持つレスラーは、どんな強烈な技(感情)が来ても、どっしりと構えて受け止めるはずです。そのイメージを自分に重ね合わせるだけでも、心のガードは少しずつ解けていきます。三沢選手が最後までリングを守り続けたように、私たちも自分の心のリングを守り抜く「闘い」に挑むのです。

二人の巨人が示す王道:心のキャパシティ

日本のプロレス界を創った二人の巨人、アントニオ猪木さんとジャイアント馬場さん。彼らのスタイルは対照的でしたが、共通していたのは「観客の感情を一身に受ける」という覚悟でした。

猪木さんは殺伐とした「闘い」の中で、観客の怒りや相手の憎しみさえもエネルギーに変え、劇的な逆転劇を演じました。一方で馬場さんは、その大きな身体で、あらゆる期待と、時には飛んでくる野次をも悠然と受け止めました。彼は自分に向けられるネガティブな反応さえも「闘い」の一部として飲み込み、王道を突き進んだのです。馬場さんの「王道」とは、何があっても動じない、巨大な心の受身そのものだったのかもしれません。

私たちが「ありがとう」を拒否してしまうとき、そこには「相手の期待に応え続けなければならない」という恐怖があるのかもしれません。しかし、プロレスラーを見てください。彼らは技を受け、倒れ、泥にまみれます。完璧である必要はないのです。ただ、その場に立って、相手が放ったものを受け止め、それに対する反応を返す。そのプロセスそのものが、生きるという「闘い」のダイナミズムなのです。

馬場氏の巨体が多くの攻撃を受け流したように、私たちも心のサイズを大きく持つことで、一つひとつの言葉に一喜一憂せず、どっしりと構えることができます。感謝を受け取ることは、自分が誰かにとっての「頼もしき巨人」であることを認める「闘い」でもあるのです。

心の筋肉を鍛える:五つのトレーニング

では、具体的にどうすれば「ありがとう」を素直に受け取れるようになるのでしょうか。精神を鍛えると言っても、滝行や座禅のような過酷な修行は必要ありません。プロレスラーが毎日のスクワットやライオン・プッシュアップで足腰を作るように、私たちも日常の小さなアクションから「心の筋肉」を鍛えることができます。

プロレスラーが道場で毎日受身の練習をするように、心の受身も日々の反復練習で身につきます。以下の5つのワークを試してみてください。

① 技を見切る「実況解説」

まずは、「今、自分は感謝という技を受けている」と客観的に認識することから始めます。相手が「ありがとう」と言った瞬間、心がざわついたら「おっと、今いい技が来たぞ」と心の中で実況解説を入れてみましょう。客観視することで、感情の直撃を防ぎ、「闘い」を冷静に進められます。

② 心のブリッジで衝撃を分散

衝撃を逃がすには、体の軸が安定していなければなりません。感謝の言葉が飛んできたら、まずは深く息を吐き、下腹部(丹田)に力を入れます。プロレスラーが強烈なバックドロップに耐えるとき、見事なブリッジで衝撃を分散させるように、あなたも呼吸によって心にクッションを作り、「闘い」に備えます。

③ カウントを数え、自分を無にする

「いえいえ、そんなことないです!」と即座に否定するのは、自意識という抵抗で風に逆らう行為です。これは心の風車を壊してしまいます。ワークとして、言われた後の3秒間は何も言わずに自分を「無」にし、言葉をそのまま通り抜けさせる練習をしましょう。心の中で「1、2、3……」とカウントし、その言葉が自分の心に沈殿していくのを待ちます。

④ 心のプロテインとしての吸収

受け止めた「ありがとう」という言葉を、ダメージではなく「プロテイン(心の栄養)」としてイメージします。その言葉が血管を通り、自分の細胞を修復していく様子を想像してください。「この言葉が、明日という『闘い』に立ち上がるためのガソリンになる」と自分に言い聞かせます。

⑤ 感謝のマイクパフォーマンス

最後は、相手の目を見て、あるいは心の中で、はっきりとこう言いましょう。「受け取らせていただきました。ありがとうございます」

これはプロレスの試合後のマイクパフォーマンスと同じです。自分の感情を言語化して宣言することで、受け取った事実を脳に確定させ、「闘い」の勝利を記録します。

逆境を力に変える:カウント2.9の矜持

人生には「ありがとう」のようなポジティブなものだけでなく、理不尽な批判や、自分にとって不都合な出来事も飛んできます。これらは、まさに人生というリングにおける「えげつない攻撃」です。

しかし、普段から「感謝」というエネルギーを「風車の理論」で正しく受け流す練習をしている人は、こうした負のダメージに対しても強い耐性を持ちます。自分を「無」にする技術があれば、悪意に満ちた言葉さえも自分を通り抜けていき、芯を傷つけることはありません。

プロレスの試合で、レスラーが相手の猛攻に耐え抜いた末に見せる「カウント2.9での肩上げ」は、観客のボルテージを最高潮に引き上げます。カウント3が入る直前で肩を上げるあの瞬間、レスラーの生命力は爆発します。私たちは、人生の困難に対して「受身」を取り、自分を無にしてダメージを逃がしながらも、最後には跳ね返す矜持を持つべきです。

私が「ありがとう」という言葉をようやく受け取れるようになったのは、プロレスから学んだ「真正面から受ける美学」と「風車の理論」を人生に適用し始めてからでした。あえて苦手なものが来ても、避けずに、しかし力まずに受け流す。その瞬間は胸が苦しくなることもありますが、逃げずに受け切った後の爽快感は、何物にも代えがたい「勝利の味」なのです。

終わりに:リングに立つすべての同志へ

「ありがとう」と言われたら、まず一呼吸置き、その言葉が自分の胸に届くのを感じてみてください。それは、相手からあなたへ贈られた、最高の「仕掛け」であり、信頼の証なのです。

この「ありがとう」を日々受け止めていくことで、あなたの心には、鋼のような強さと、絹のようなしなやかさが同居するようになります。ダメージを無効化し、エネルギーに変換できるようになれば、人生という「闘い」は驚くほど楽に、そして豊かになっていくはずです。

「ありがとう」を受け取れないのは、あなたが優しいから、あるいは真面目すぎるからです。しかし、プロレスが一人では成立しないように、人生もまた「贈る側」と「受け取る側」の信頼関係という「闘い」で成り立っています。あなたが最高の受身で感謝を受け止めることは、相手に対する最大のリスペクト(敬意)でもあるのです。

相手が勇気を持って投げてくれた感謝というボールを、しっかりと胸で受け止めること。その一瞬の勇気が、あなたの心のコンディションを、かつてないほど高めてくれることでしょう。今日から、あなたに投げかけられるすべての言葉を、プロレスラーのような誇り高さを持って受け止めてみてください。

私たちは皆、人生という名のリングに立つレスラーです。観客の期待も、相手の技も、そして自分自身への賞賛も、すべてを飲み込んで立ち上がりましょう。その時、あなたの人生という「闘い」は、真に価値ある勝利へと昇華されているはずです。

次の一歩として、今日、誰かに「ありがとう」と言われたら、相手の言葉に反論せず、風車のようにそのまま受け流して自分の力にする「無の境地」を5分間だけ意識してみませんか?

[プロレス試合レビュー] 私はこう見た!〜ハーリーレイス対ボブ・バックランド

にほんブログ村 にほんブログ村へ
にほんブログ村
タイトルとURLをコピーしました