個性が消える多人数制
今回は「役割とプロレス」のお話です。
言い換えると「立ち位置」の重要性についてでしょうか。
最近のプロレス界の全体像を見渡すと、誰もが同じ役割を演じようとしている危うさを感じます。
若手とメインイベントを張る選手は揃っていますが、その間を繋ぐ「中堅どころ」が圧倒的に不足しているのです。
中堅不在が生む画一化
結果として、どの試合順でも似たような展開が続き、大会のどこを切り取っても同じような内容に見えてしまいます。
これは、複数のスターを並立させる制度の弊害ではないかと私は考えています。
職人集団としての矜持
中堅といえる存在がいたとしても、多くはフリーや他団体の選手で、厳しい言い方をすれば「負け役」として消費されているケースがほとんどです。
本来の中堅とは、メインに至るまでの流れを構築し、前座ともメインとも異なる色を放つ存在です。
時にお客さんを「あっ」と言わせる妙技を見せる「職人」であるべきだと私は考えます。
大会を締める名脇役
彼らの存在があってこそ大会は引き締まり、伝説として後世に語り継がれます。
その重要性を示す一例として、1993年6月14日、新日本プロレス大阪大会のエピソードを挙げましょう。
語り継がれる伝説の一戦
この日のメインは「TOP OF THE SUPER JR.」の決勝戦でしたが、第二試合で驚きのカードが組まれました。
ディーン・マレンコ選手対エディ・ゲレロ選手という、今では信じられない珠玉の一戦です。
結果は13分51秒。ディーン選手がエディ選手のウラカン・ラナを切り返し、テキサス・クローバー・ホールドで仕留めるという、実に味わい深い幕切れでした。
役割を心得た者の輝き
この一戦によって、私のテキサス・クローバー・ホールドに対する印象は劇的に変わりました。
この大会には藤原喜明選手対木戸修選手の職人対決や、天龍源一郎選手対橋本真也選手の激突など見所が満載でしたが、その中で第二試合がこれほど光ったのは、両者が「自分たちの役割」を完璧に理解し、遂行したからに他なりません。
経営と現場の難しい距離
一般社会も同様ですが、与えられた役割や立ち位置は確実に存在します。全員が同じことをしてい
ては社会は成り立ちません。プロレス界では現役選手が経営を兼ねるケースが多いですが、現場の力が強すぎると経営はおろそかになります。
力道山関は経営者としての視点を持っていましたが、没後の幹部連にはその感覚が乏しく、結果としてジャイアント馬場さんやアントニオ猪木さんの独立を招き、団体崩壊へと繋がってしまいました。
失敗から学ばぬ歴史
その後、新日本や全日本がテレビのバックアップで成功したため、過去の失敗は教訓とされることなく年月が過ぎました。
派生した多くのインディ団体でも「社長レスラー」が乱立しましたが、その多くが経営難という同じ過ちを繰り返しています。
プレイヤーでありながら経営の先を見通す能力を持つことは、それほどまでに困難なのです。
自分独自の立ち位置
プロレスラーである以上、誰もがエースや一国一城の主を目指すのは当然かもしれません。
しかし、全員が主役を張ろうとすれば、大会の空気をおさめる中堅選手は消えてしまいます。
看板になれるのは一握りです。だからこそ、メインとは違う輝き方を模索する選手がもっと現れても良いのではないでしょうか。
呪縛を超えた先へ
人間心理として、人はどうしても「目立つ場所」や「頂点」だけを正解と考えがちです。
しかし、プロレス界の歴史が証明しているのは、自分の特性を見極め、唯一無二のポジションを築いた者こそが、時代を超えて記憶されるという事実です。
かつて、華やかなスター街道から一線を画し、職人芸に徹して「名人」と呼ばれた選手たちが、時にメインイベント以上の熱狂を生んだことがありました。
心理的な自立
これは、周囲と同じレースを走るのではなく、自分の心が最も燃える場所——自分独自の立ち位置——を見つけた強みです。
「俺が、俺が」という承認欲求の呪縛を解き、組織や興行全体の中で「自分にしかできない仕事」を見つけること。
それは決して妥協ではなく、心理的な自立であり、プロとしての究極の戦略なのです。
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