プロレス的発想の転換のすすめ(106)無業とプロレスの闘い
無業が招く社会断絶
現在の日本社会は、一度の失敗が致命傷となり、極端に再チャレンジしにくい仕組みになっています。
一度「仕事」を失ってしまうと、元の場所に戻ることは容易ではなく、社会との繋がりも断絶してしまいます。
これがいわゆる「無業」の状態です。
誰もが「無業」になるリスクを抱えているにもかかわらず、いったんその状態に陥ると抜け出しにくいのが現実です。
無関心が奪う支援策
しかし、多くの人は「無業は自分には関係ないこと」と無関心を装っています。
これは非常に危惧すべきことです。
なぜなら、人々が関心を示さない話題は「なかったこと」にされるため、本来必要な支援体制が整わないからです。
自己責任という壁
その結果、法律も整備されず、本当に届けるべき場所へ支援が行き届きません。
当事者は「自己責任」という言葉で追い詰められ、さらに疲弊していきます。
実際、私はうつを患ったことから「無業」となり、緑内障、がん、介護と立て続けに困難に見舞われ、現在に至っています。
制度から零れ落ちる
これほど多くの問題を抱えながら、支援と呼べるものは皆無です。
うつの場合、審査が非常に厳しいため、障害年金を申請しても高確率で却下されます。
実際、私の申請も認められませんでした。
緑内障も、片方の視力がある限り障害とは認定されず、血液のがんも公的支援の対象外となるケースが多いのです。
八方塞がりの現実
介護についても、ヤングケアラーや老々介護がメディアを賑わせますが、抜本的な法整備の話はいまだに聞きません。
私のように複数の困難が重なれば、無業にならざるを得ません。
このような八方塞がりの状況では、介護疲れによる悲劇的な事件が起きても不思議ではなく、実際に繰り返されています。
困窮者の声を世間に
安倍元首相の事件で露呈した宗教団体の問題も、事件が起きるまでは風化していました。
こうした無関心を是正し、困窮した人間の声を世間に発信できないか。
当事者の一人として、私は真剣に考え続けてきました。
孤立を防いだ絆の力
特に困難に直面した人が陥りがちなのが、社会からの孤立化です。
私も病院の窓口を頼りましたが、制度の壁に阻まれ、何度も絶望しました。
それでも私が事件を起こさず、孤立化をギリギリで防げたのは、プロレスと、そこから生まれた繋がりがあったおかげです。
魂を揺さぶる名言
かつてジャンボ鶴田選手が遺した「人生はチャレンジだ」、そしてアントニオ猪木さんの「迷わず行けよ、行けばわかるさ」。
プロレス界の名言は、絶望の淵にいた私を何度も救ってくれました。
この一歩が、誰もが再チャレンジできる社会の実現につながることを願っています。
社会からの孤立化
社会からの孤立化は、人間の精神を静かに、しかし確実に蝕んでいきます。
人間心理において、誰からも必要とされていないと感じる孤独感は、時として暴力的な衝動や深い絶望へと変貌します。
プロレス界においても、かつて「闘い」の場を失い、社会や業界から孤立したレスラーが悲劇的な事件を引き起こした例が少なくありません。
孤立していく無業者たち
例えば、かつて一世を風靡したクリス・ベノワ選手(ワイルド・ペガサス)が起こした衝撃的な事件は、度重なる怪我や脳へのダメージに加え、親友の死による精神的な孤立が背景にあったと語り継がれています。
リングという輝かしい「闘い」の場を離れ、誰にも弱音を吐けずに追い詰められた末の悲劇でした。
また、闘いの舞台裏でも、引退後に社会との接点を失い、困窮の末に自ら命を絶つ、あるいは犯罪に手を染めてしまう元選手たちが存在します。
彼らの姿は、現在の日本で「自己責任」の名の下に孤立していく無業者たちの姿と残酷なまでに重なります。
温かな眼差し
プロレスは、何度倒されても立ち上がる姿をファンに見せるものです。
しかし、それは「リング」という居場所と、それを見守る「観客」という社会との繋がりがあって初めて成立します。
今の社会に必要なのは、倒れた人間に拍手を送り、再びリングに上がるための手を差し伸べる、プロレス会場のような温かな眼差しではないでしょうか。

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