【プロレスブログ】 プロレス的発想の転換のすすめ(126) 歴史とプロレスの交差点

[プロレスブログ] プロレス的発想の転換のすすめ

プロレス的発想の転換のすすめ(126) 歴史とプロレスの交差点

「今」に集中する美学

今回は歴史とプロレスというお話をします。私が出入りしていたコワーキングスペース界隈には「今を生きる」人々が非常にたくさんいました。

「今を生きる」というのは、過去も未来も手放し、その時々を楽しむことです。

決して刹那的ではなく、今を生きるというのは、生き方としてとても健全であると私は考えます。

過去という名の足枷

何より私が過去に囚われやすい人間であるため、いつまでも昔のことを思い返してはクヨクヨ悩んだり、時にはフラッシュバックに苦しめられたりしてきました。

そして、問題を抱えて相談に来られる方の多くは、必要以上に過去に苦しめられています。

これは認知症を患う前の亡き父もそうだったようです。

鮮明すぎる戦争の記憶

今考えると無理もないのですが、幼少期に第二次世界大戦を経験している父は、ことあるごとに戦争の話を繰り返し私にしてきました。

それはそれは鮮明に、事細かく描写するので、いつの間にか私も覚えてしまったくらいです。

過去に体験した苦しい思い出を忘れたくても忘れられないというのは、相当に辛かったはずです。

父やかつての私が過去に囚われていたのは、あくまで出来事に対して「過度に反応」していたために問題となっていたのです。

弱みは強みに変えられる

しかし見方を変えると、強みと弱みは表裏一体なものでもあります。

つまり、弱みは強みにもできるのです。

確かに今を一所懸命に生きている皆さんはとても素敵です。

その一方で、良い思い出も悪い思い出も次々と手放しているため、その場で記録をとっておかないと、タスク(課された仕事や課題)の山に埋もれてしまいます。

過去を記録する者の役割

あるいは、新しいタスクを始める際「過去にはどうしていたか?」と振り返る必要性が生じたときに、過去を覚えていられる人間の出番があるわけです。

私はまさに「過去を覚えて、記録する人」という役割を担っているのです。

伏線回収

さて、プロレスは「長く見続ければ見続けるほど得をする」といわれているジャンルです。

その場では些細な出来事かもしれませんが、後になって大きな伏線回収になることはよくある話です。

リング上でかつて若手だった選手が、数十年の時を経てかつての師匠と対峙した際、若手時代の些細なエピソードが勝敗やドラマの鍵となったりします。

こうした記憶の連鎖こそがプロレスの醍醐味です。

過去の記憶は最強の武器

しかし、プロレスの伏線回収は時に数十年もかかるため、過去の出来事を覚えていられない人にとっては、回収されるカタルシスを得られないまま過ぎ去ってしまうのです。これは実にもったいない話です。

そこへいくと、私が事細かに過去を覚えていられるのは、プロレスという趣味に向き合うためにはこの上ない武器になります。なぜなら、普通の人が見逃してしまうような些細な予兆ですら、後に大きな感動として受け取ることができるからです。こんなにおいしい話はありません。

自我が社会と結ぶ関係

発達心理学者のエリクソンさんは、1950年に『幼児期と社会』という発達段階論を記した本を出版し、「人間の8つの発達段階」について、自我が社会と結ぶ関係を発表しました。

その中で40歳から65歳頃にあたる「壮年期」は、職業上の知識や技術、子育ての知恵を次の世代に伝達する期間であり、これを「世代性(ジェネラティビティ)」と呼んでいます。

次世代へ繋ぐ物語の価値

私が持っているプロレスの知識やオタク知識は、職業上の役にも立たず、子育てとも無関係かもしれません。

しかし、自分が体験してきたことを次の世代に伝えたいという気持ちは、人間にとってごく自然な欲求のようです。

エリクソンさんは、次世代への関心が薄い場合、他者との関わりがなくなるため「自己満足」や「自己陶酔」に陥りやすいとし、それを「停滞」と呼びました。

私は次世代への語り部を自認していますが、常に相手への関心を持ち、単なる自分語りにならないよう気をつけています。

自己満足の過去には価値がないからです。

存在そのものが他者貢献

オーストリアの精神分析学者アドラーさんは、他者に関心を持ち、他者に貢献することを「導きの星」と呼びました。この星を見失わなければ、人生という旅に迷うことはありません。

目標は未来ではなく「今ここ」にあるものです。つまり、何かを成し遂げなくても、今生きていることで他者に貢献しているのです。

巨大な支援の輪

たとえば、プロレス界ではかつて高山善廣選手が試合中の事故で頸髄を損傷し、厳しいリハビリ生活を送ることになりました。

かつて「帝王」と呼ばれた彼が、動かない体で病室から発信する「生」への執着は、彼をサポートする鈴木みのる選手をはじめとするプロレスラーたち、そして困難に直面する多くのファンを突き動かす巨大な支援の輪、すなわち「TAKAYAMANIA」という現象を生みました。

何もできなくなったと思われがちな状況にあっても、高山選手が「ただ生きていること」そのものが、周囲に助け合う喜びや、生きる意味を再確認させるきっかけとなっているのです。

存在そのものが他者の心を救う

人間心理においても、存在そのものが他者の心を救い、社会を繋ぎ止めることがあります。

「何かを成し遂げなくても、今生きていることで、他者に貢献している」という真理は、こうした絶望を乗り越えようとする闘いの歴史の中にこそ、力強く息づいています。

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