プロレス的発想の転換のすすめ(37)持っていていい固定観念
思考を縛る固定観念
今回は固定観念の話をします。固定観念は誰しもが持つもので、度を越して強すぎると問題になります。
私の場合、「嫌なことから逃げている人は世の中で通用しない」という固定観念がありました。
しかし、この考え方は見方を変えれば、困難に立ち向かうための強い「軸」にもなり得るのです。
挑み続ける姿に共感
だからプロレスでも、あえて勝ち目のないような相手に立ち向かう選手に感情移入して試合を観ていました。
わかりやすい例でいうと、全盛期のアンドレ・ザ・ジャイアント選手にシングルで立ち向かった藤波辰爾さんのような感じです。
藤波さんが見せた「逃げない姿勢」は、私の持つ固定観念を肯定してくれる象徴でした。
圧倒的な体格差の壁
このカードは1985年5月18日、第2回IWGP公式リーグ戦の広島大会で組まれ、幸運にも私は生で観ることができました。
全盛期のアンドレ選手というのは、頭も回り、体も身軽でした。
ヘビー級へ転向したとはいえ、元々がジュニアヘビー級出身の藤波さんとでは、何もかもが違いすぎました。
身長で約40cm、体重で約100kg以上の差があるこの対決は、まさに大人と子供ほどの体格差があったのです。
相手を光らせる美学
しかし、アンドレ選手は自分が有利だからこそ一方的な試合を作りませんでした。必ず相手の良いところを引き出して、その上で勝っていました。
藤波さんのスピードを殺さず、あえて受け止めることで、観客に「もしかしたら藤波が勝つのでは?」という期待感を抱かせていました。
恐怖を乗り越える心
プロレス界に入るまでは殴り合いすらしたことがなかったという藤波さんが、自分よりデカい人間に対して全く嫌な感じがしなかったとは、私にはどうしても思えないのです。
むしろ怖くて当たり前でしょう。
心理学的に見れば、恐怖は生存本能です。しかし、その恐怖を「使命感」という別の固定観念で上書きし、立ち向かうからこそ、藤波さんは未だにレジェンドとして尊敬を集めていられるのです。
固定観念は心の武器
とまあ、このように、実は固定観念って持っていて悪いものではないんです。
むしろ困難に立ち向かう時には必要不可欠ともいえるでしょう。
心理学の世界では、これを「ヒューリスティックス(意思決定の近道)」と呼ぶこともあります。
複雑な現実に立ち向かう際、自分なりのルール=固定観念があるからこそ、人は迷わず動けるのです。
戦略的な闘いの極意
ですが、何事も厳しすぎるとかえって苦しくなります。
大きな困難が立ちふさがったとしても、それをいちいち真正面から受け止めていては身が持ちません。
広島大会の藤波対アンドレ戦でも、藤波さんはジュニア出身らしいスピードでアンドレ選手を攪乱(かくらん)させる場面が見られました。
これも真正面からぶつかっては粉砕されることを理解した上で、自身の持ち味を活かした戦法をとっていたのです。
困難に立ち向かう価値
そしてロープに腕が絡まったアンドレ選手に対して、初めて真正面から攻撃を仕掛けていくわけです。
これはスタン・ハンセン選手のような巨漢でない限り、多くのレスラーが用いた有効な攻撃パターンでした。
しかし、それすらもアンドレ選手の計算の内で、最後は余力を残していた大巨人が勝利を収めていました。
全盛期のアンドレさんに勝つことは並大抵ではありません。
しかし、だからこそ困難に立ち向かう価値があることを、攻める藤波さんも、受けて立つアンドレ選手も尊重し合っていた点が重要なんです。
逃げない強さの正体
つまり固定観念というのは、持っていても決して悪いものではないということですね。
「嫌なことから逃げない」という信念もそうですが、それを自分を縛る鎖にするのではなく、闘うためのエネルギー源に変換することが大切です。
固定観念を否定して自分を無くすのではなく、その観念をどう乗りこなすかが、人生という名の「闘い」における鍵となるのです。
持っていていい固定観念
「持っていていい固定観念」とは、自分を支える心の背骨のようなものです。
藤波辰爾さんが、全盛期のアンドレ・ザ・ジャイアント選手という巨大な壁を前にしても決して背中を見せなかったように。
私たちも、自分の中にある「譲れない信念」という名の固定観念を抱きしめながら、目の前の困難という強敵と正面から向き合う「闘い」を続けていくべきなのでしょう。
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