プロレス的発想の転換のすすめ(82) プロレスに見る円熟
円熟という豊かな心
日本語には「円熟」という言葉があります。
これは人格・知識・技術などが円満に発達し、豊かな内容をもっている状態を指します。
削ぎ落とされた技能
物事が熟達していくと、角が取れて丸くなっていく側面があるように思います。
プロレスに置き換えると、無駄を省いたシンプルさだけで観客を魅了できる試合や、その技能を持つ選手たちに、私は「円熟」を感じるのです。
運動能力への依存
しかしながら、近年のプロレス界では「運動神経のデパート化」が進んでいます。
特にジュニアヘビー級を中心に、いわゆる「動ければいい」という試合が増えているように私には感じられるのです。
武藤敬司の様式美
具体例として、レジェンド・武藤敬司選手を取り上げてみましょう。
かつて「スペース・ローンウルフ」としてリングに上がっていた頃から、彼は「スペース・ローリング・エルボー」を頻繁に繰り出していました。
リアル嗜好との闘い
武藤選手がこの技を使い始めた20代の頃は、UWFの台頭や、初代タイガーマスクこと佐山サトルさんが著書でロープワークに否定的な見解を示すなど、プロレスにも「リアル嗜好」が強まった時代でした。
認知を勝ち取る継続
このリアル嗜好を突き詰めれば、後の総合格闘技やK-1へと繋がっていくのですが、武藤選手(とその化身、グレート・ムタ)は、この技を使い続け、ついには観客に様式美として認知させてしまいました。
肉体の変化と代償
ある種、無駄とも思える動きであっても、使い続ければリアルをも凌駕する。
これは歌舞伎や時代劇の見栄、ヒーローの名乗り口上に近い感覚と言えるでしょう。
しかし、レスラーはこれを生身の肉体で表現するため、加齢と共に表現が難しくなる代償も伴います。
スタイルを変える術
武藤選手のように膝のダメージで技を封印せざるを得ない場合もあれば、藤波辰爾選手のようにファイトスタイルを上手くシフトチェンジする例もあります。
また、大仁田厚選手のようにジュニア時代と「邪道」時代で別人のような変化を遂げるのも一つの円熟です。
生涯現役を貫く愛
プロレスラーは誰よりもプロレスを愛する人種です。
だからこそ、変化を繰り返しながらリングに立ち続けます。
そうした長いスパンで選手を見続けることで、「円熟」という言葉の真意が深く理解できるのではないでしょうか。
多様性時代の円熟とは
多様性が重要視される現代において、円熟とは単なる「衰えを補う手段」ではありません。
それは、自身の変化を受け入れ、他者との違いを「味」に変える人間心理のプロセスそのものです。
若さゆえの輝きが「自己主張」であるならば、円熟とは周囲との調和の中で自分だけの立ち位置を確立する「自己受容」の形です。
プロレスという過酷な闘いを通じて、己の限界を認めつつも新しい表現を模索する姿は、私たちが多様な生き方を認めていくための、一つの尊い指標となっているのです。
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