[私的人物伝] アニメーションスーパースター列伝 高畑勲編
姿勢は終始一貫
4月5日に肺がんによって享年82歳で、アニメーション映画監督の高畑勲さんがお亡くなりになられました。そこで高畑勲さんの思い出を書いてみようと思って、古い資料を漁ってみたのですが、いわゆるアニメーション論に関しては、いろいろな「語録」を発見できました。ところが各論ということになるとなかなか見つからなかったのです。観客サイドからすると、自分が好きな作品の「こぼれ話」などを知りたいところだったんですけどね。
高畑監督が初監督した「太陽の王子ホルスの大冒険」で作画監督をつとめ、宮崎さんとも仕事をしている大塚康生さんは
「自分の作った映画について語るというより、次の作品の構想に入ってしまうので、振り返るのを極端に嫌う」(徳間書店ロマンアルバム「太陽の王子ホルスの大冒険」インタビューより抜粋)
と宮崎駿さんのことを評していますが、意外にも宮崎語録は結構あちこちに残っているのですね。私も資料としてもっているのですが、高畑監督のものに関してはあまり目にした記憶がないのです。高畑監督の姿勢は終始一貫していて、たとえば「ほぼ日刊イトイ新聞」でのインタビューですと
「原作がふつうの意味でたとえすぐれたものだとしても、それに触発されて「アニメーション作品としての新鮮なイメージ」が自分の中に生まれてこなかったら、取りかかれないのです。」
と語られています。
これはでも私が持っている古いアニメ雑誌でもほぼ同様の内容を語っていらした記憶がありました。もしかすると宮崎さんとは違う意味で、自身の作品を振り返りたくなかったのか?さもなくば高畑監督のアニメ論が終始変わることがなかったからなのか?という仮説が成り立つかなと私は思うのです。
高畑監督と1stルパン
先述の「ホルス」にしろ、有名な「アルプスの少女ハイジ」、あるいは「セロ弾きのゴーシュ」や「じゃりン子チエ」、さらには「火垂るの墓」など、カラーの違う作品はたくさん残されていますが、どの作品に対しても高畑監督はブレずに関わり続けたのではないか?と私は想像しています。
これも、おそらく私の想像でしかないのですが、高畑監督がホルスの後に「Aプロ演出グループ」として宮崎さんとともに演出した「ルパン三世」(1stシリーズ・1971年)では、いわゆる宮崎カラーといえるものは非常に散見されます。しかし、明確な「高畑カラー」というものはファンである私でさえも区別がつかないのです。
それは宮崎さんが初のシリーズディレクターを務めた「未来少年コナン」(1978年)でも然りで、いわゆる自身のカラーは比較的抑え目にしています。もっともコナンの場合は盟友・宮崎駿のサポートに徹するという形で参加されていたと思いますので、ルパンとは少々事情が異なるのでしょう。
特にルパンの場合、おおすみ正秋監督が視聴率の不振によって降板した後、宮崎さんと高畑さんが急きょ演出に抜擢された経緯があって、正直本意な仕事ではなかったのでしょう。宮崎さんはあからさまにルパンに対する「不快感」を隠そうとしていませんが、高畑監督がこの1stルパンに対して何かを語った記憶がないのです。
じゃりン子チエとの関わり
かつてルパン三世のセカンドシリーズが放送された時点で、初の劇場版ルパンの制作がありました。そこで、かつて人気を集めた1stシリーズのスタッフが再集結されます。それが第1作目の「ルパン三世」(マモーとの対決)だったわけですが、翌年の「カリオストロの城」もその流れを汲んだものです。ですが、第1作のマモーしかり、カリオストロの城しかり、高畑さんが1st以降のルパンに関わることは二度となかったのです。
ここからは私の推測なんですが、メカニックに関しては強い思い入れのある宮崎・大塚両氏にとってルパンはまだ魅力的な素材だったと思えるのです。しかしメカに関しては、高畑さんにはそこまでの思い入れがないのではないかと私は思います。先ほどの言葉を借りるならば「アニメーションとしての新鮮なイメージをもてなかった」のでしょう。
とはいえ、当時ですらすでに注目されはじめていた高畑監督の才能を埋もれさせるには惜しいと周囲が考えたからか?高畑監督にはある漫画のアニメ化が打診されます。
それが有名な「じゃりン子チエ」だったのではないかと私は思っています。じゃりン子チエは1981年に劇場公開され、翌82年にはテレビアニメ化されています。この劇場版とテレビ第一シリーズをてがけたのが高畑監督で、製作はカリオストロ同様、テレコムアニメーションが担当しています。
ある程度の「しばり」
この時代の宮崎・高畑コンビはとにかく脂の乗っていた時期で、この時代の仕事はジブリ時代より高く評価する人も多くいます。が、テレコムでの仕事はイタリアとの合作シリーズ「名探偵ホームズ」の頓挫によって、宮崎さんが降板。その後「浪人」となった宮崎さんは「ナウシカ」のマンガ連載をはじめました。このナウシカのアニメ化によってふたたび高畑さんとは再合流して、ジブリアニメへと繋がっていきます。
私はよく想像するのですが、あの脂の乗ったテレコム時代に宮崎・高畑コンビが上昇気流に乗っていたら一体どうなっていただろうなあと思うことがあります。個人的にはジブリ以降の高畑アニメにはそれほど思い入れはないのですが、このテレコム時代の宮崎・高畑両監督のお仕事を私は大変に好きなので、もしかするとジブリをこえた名作が誕生していたかもしれないですね。
高畑監督が亡くなられた今となっては、なんとも言いようのない話ではありますが、個人的には宮崎駿監督同様、高畑監督もある程度の「しばり」があったときに実力を発揮される印象があるので、「好きなように作っていいよ」という感じで作品をてがけていたジブリ時代ってちょっともったいなかったなあと思うのです。
今はでもただ数々の名作をたくさん見せていただいてありがとうございました、と心より天国の高畑監督に感謝したいと思います。