回転!揺りイス固め.NEO

アニメ好きが高じて色んな感想を書いている老害オタクのブログ

*

[イベント備忘録] 原田とシン・ゴジラと①

2017/04/06

シン・ゴジラを語る上で庵野秀明と彼が影響を受けた作品群は切っても切れない縁がある。

私が思うに、シン・ゴジラという作品は、突然変異で生まれた映画ではない。順序を経て現代に生まれべくして生まれた映画である。シン・ゴジラを作った庵野秀明総監督は1960年生まれ。1964年生まれの私より4つ年上になる。

この時代の子どもの4歳差というのは非常にでかい。なぜなら、日本初の空想科学テレビシリーズとなった「ウルトラQ」(1966年)放送時に庵野秀明は6歳。私はわずか2歳。そうこの4歳差はウルトラシリーズをすべて生で体験できたか否かということで、大きな差になっている。もちろん庵野秀明は今に至るまでずっとオタクであり続けているので、私が体験している仮面ライダーも宇宙戦艦ヤマトも機動戦士ガンダムは、庵野秀明だってすべてリアルタイムで体験しているのである。

一方の64年生まれにとって第一次ウルトラシリーズは「再放送」で追随するしかなかった。私がはじめてリアルタイムで体感したウルトラシリーズは「帰ってきたウルトラマン」(1972年)からになる。そう、のちに庵野秀明自身がオマージュを捧げ、主演し、自主映画化した作品でもある。

64年生まれの私は当時7歳。庵野秀明11歳。当然小学校高学年だった庵野秀明はリアルタイムであの「怪獣使いと少年」の意味合いをより深く理解していたはずなのである。

帰ってきたウルトラマンにも参加していた脚本家の金城哲夫の思想が色濃く滲んでいる「怪獣使いと少年」を私が理解するには、7歳という年齢はあまりに幼すぎたのだ。

翻って、ゴジラは1954年に誕生している。当然庵野秀明も私も生まれていない。過去作品の中に色濃く残るウルトラ愛とは裏腹に、庵野秀明の作品群からゴジラの匂いを感じ取ることは大変困難でもあると私は思う。

しかしながら庵野秀明というひとはおそらく何らかの縛りがあると才能を発揮できるクリエイターなのではないかと私は想像している。師匠筋にあたる宮崎駿しかり。ルパン三世という縛りが宮崎駿からカリオストロの城を生み出したいように、ゴジラという「縛り」が庵野秀明からシン・ゴジラを生んだと推察するのは私の考えすぎだろうか?

ただ、最も多感な時期に刺激的な作品たちから影響を受けて、庵野秀明の天賦の才が開花したと私が想像することは、あながち間違いではないだろうと考える。なぜなら私も多感な時期にヤマトやガンダム、イデオンに触発されて今日の自分があるからだ。庵野秀明と違うのは、私に開花するだけの才能がなかっただけである。(敬称略)









au公式/ビデオパス

-アニメ好きが高じて色んな感想を書いている老害オタクブログ, イベント備忘録, 原田とシン・ゴジラと