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[アニメ感想] 2019年冬アニメ完走分感想文 どろろ

時は戦国。
醍醐の国の主である景光は、
ある寺のお堂で十二体の鬼神像に領土の繁栄を願い出た。
それと引き換えに生まれた景光の世継ぎは身体のあちこちが欠けており、
忌み子としてそのまま川に流され、捨てられてしまう。
時は流れ、鬼神は景光との約定を果たし、国には平安が訪れた。
そんなある日〝どろろ〟という幼い盗賊は、ある男に出会う。

それは、鬼か人か

両腕に刀を仕込む全身作り物の男〝百鬼丸〟は、その見えない瞳で襲い来る化け物を見据えていた。(あらすじは公式HPより)

脱・手塚治虫

手塚治虫作品の中では、異色中の異色作になる「どろろ」。言わゆる子ども向けではできない重いテーマと、人間の醜さをどこまで描き切るか、がキモになるだろう。そもそも原作自体が少年サンデーに連載されながら、あまりにおどろおどろしい内容からか、中途半端な形で終了している。そうした「原作の怨念」も、アニメ化は汲み取れるかどうか?

1968年にアニメ化された際は「背伸びした作風」を目指していたものの、スポンサーからのクレームや、低視聴率で路線変更を余儀なくされ、怒った杉井ギサブロー監督が自ら降板するなど、とにかく最初のアニメ版もいろんな意味で時期尚早だった。ただ、カラー製作が主流になり始めた時代に、「あえて」モノクロで製作されるなど、最初のアニメ版もかなりの意欲作ではあったのだ。

そうした経緯を踏まえ、50年後の現代によみがえったどろろは、まず原作リスペクトを最大に抱きつつも、脱・手塚治虫を目指した点がいくつも見られた。いい例がキャラクターデザイン。実はこちらも当初は手塚色を残す方向で検討されながら、結局今の形に落ち着いたという。

これはいい形で成功したと思う。テーマ性だけは踏襲しながら現代風の味付けを施した「どろろ」はこれによって「焼き直し」の呪縛から解き放たれたといってもいいだろう。

スタッフは、シリーズ構成として戦隊シリーズや仮面ライダーシリーズで実績があり、時代劇ファンでもある小林靖子氏、そして監督は「るろうに剣心」や「機動戦士ガンダムUC」を手がけた古橋一浩氏という豪華な組み合わせになっている。

踏み込んだ内容

手塚テイストの呪縛から解き放たれた2019年の「どろろ」は、原作よりも踏み込んだ内容になっている箇所が多々ある。

たとえば、第五・六話「守子唄の巻」に登場するミオは、2019年版を端的に語るにはうってつけのキャラクターだろう。ミオは原作およびアニメ第1作とは違い、本作ではどろろにも会っているほか、OPアニメーションにも登場している点でこれまでの映像化とは大きく異なるポイントである。

孤児の面倒を見るために、売春をしているのは原作同様になるわけだが、廃寺に子どもたちと住んでいるが、夜に酒井方の陣を訪れ、雑兵に春をひさいで収入を得ていたシーンが明確に描かれている。

ミオは醍醐方の陣にも酒井方にも出入りしていることが発覚し、密偵の疑いをかけられ孤児たちもろとも殺されてしまう。ミオの死は、百鬼丸とどろろの2人に深い影を落とすことになるが、その悲しみと怒りは百鬼丸が初めて喋るきっかけともなっており、物語の重要なポイントになっている。

このように新解釈によって、2019年のどろろは手塚原作を新解釈し、なおかつテーマ性を深掘りしてみせたのは賞賛に値する。原作も旧アニメ版も不遇な終わり方をしたどろろ。だが、半世紀を経て新解釈のもと、見事に「完結」させたこと。これはスタッフの労力によるところが大きい。素晴らしい作品だった。

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