秒殺ブームを巻き起こした
今回は、実力主義を標榜するプロレス団体であるパンクラスを設立し、自らエースとして第一線で活躍した船木誠勝選手をご紹介します。
船木選手は、1984年に新日本プロレスに入門。85年にデビューしました。新日本プロレスからは、期待の新星として将来のスター候補選手と目されていましたが、海外遠征時に、第二次UWFに移籍します。
第二次UWFが解散したあとは、プロフェッショナルレスリング藤原組を経て、パンクラスを設立し、自らエースとして第一線で活躍していきます。秒殺ブームを巻き起こしたのも、パンクラス旗揚げ時代の話です。
2009年からはプロレスラーとして
パンクラスはのちに格闘技団体になり、船木選手も総合格闘家として活躍します。しかし、2000年のヒクソン・グレイシー戦での敗戦をもって引退します。
引退後は、芸能活動や格闘技中継の解説などもしていました。
しかし、2007年に総合格闘家として復帰。2009年からはプロレスラーとして活動しています。プロレスラー復帰は、武藤敬司選手が率いていた時代の全日本プロレスで、ここで三冠チャンピオンにもなっています。
現在はフリーとして
武藤選手が全日本を離れ、W-1を旗揚げすると、船木選手も追随しますが、2015年6月30日、契約満了につきWRESTLE-1を退団し、現在はフリーとして様々なリングで戦っています。
近年ではプロレスリングNOAHで、丸藤正道選手のM’s allianceに参加。杉浦貴&桜庭和志選手のもつGHCタッグにも挑戦しています。
レスラー活動以外にもパーソナルトレーニングジムのトレーナー、2017年からはYouTubeで自身の体験やレスラー時代の思い出を語る動画を定期的に配信しています。