スタートは第0試合
今回は2020年にデビュー12年で初戴冠したYOSHI-HASHI選手のご紹介です。YOSHI-HASHI選手は、アニマル浜口ジムでトレーニングを積んだのち、2008年7月6日、NEW JAPAN TRILL後楽園ホール大会にて、ダーク・マッチ第0試合でデビューを果たしています。
2009年12月4日、IWGPジュニアタッグ王座を保持するApollo 55(田口隆祐 & プリンス・デヴィット)に挑戦。最後は田口監督からピンフォール負けを喫し、YOSHI-HASHI選手は王座奪取とはなりませんでした。
さらに、2012年1月4日、リングネームをYOSHI-HASHIに改名し、レッスルキングダムVIにて凱旋帰国試合を行い、YOSHI-HASHIと同じく海外遠征から帰国したオカダ・カズチカ選手とシングルマッチで対戦しましたが、レインメーカーでピンフォール負けを喫してしまいます。ここからYOSHI-HASHI選手の長い低迷時期が続いていきます。
度重なる怪我もありましたが、極めつけは2018年9月23日、神戸ワールド記念ホール大会でジェイ・ホワイトと外道の裏切りにあったオカダを救出するために花道を全力疾走するが、リングイン直前で転倒し額を大流血したうえに左肩を負傷し、救急搬送されるという失態を犯してしまいます。
度重なる不運
しかし怪我から復帰したYOSHI-HASHI選手は何かふっきれたような感じになっていきます。2019年3月、NEW JAPAN CUP2019にエントリーし、初戦で中西学、2回戦でチェーズ・オーエンズから勝利し、ベスト8まで進出したのです。
ですが、 準々決勝戦で石井智宏と対峙。20分を越える死闘となるも、垂直落下式ブレーンバスターに敗れてしまいました。
6月25日、宮城サンプラザ大会において RPWブリティッシュ・ヘビー級王座とG1 CLIMAXの出場権をかけて、ザック・セイバー・ジュニアと戦い、変形ジム・ブレイクス・アームバーにより、ギブアップ負けし、G1への道はついえました。
12年越しの初戴冠
2020年8月、返上されたNEVER無差別級6人タッグ王座決定トーナメントに後藤洋央紀、石井智宏両選手とエントリー。1回戦で真壁刀義、本間朋晃、田口隆祐組、準決勝で棚橋弘至、飯伏幸太、マスター・ワト組に勝利し、決勝戦にてオカダ・カズチカ、矢野通、SHO組と対戦し、石井選手が垂直落下式ブレーンバスターで勝利し第21代王者となりました。
一回戦・準決勝と自分の力でフォールをとってきたにも関わらず、決勝の大事な場面を石井選手に任せて、場外でオカダ選手をおさえていたYOSHI-HASHI選手は「らしい」といえば、らしいのですが、その「俺が、俺が」ではない姿勢が、多くのファンに支持されたのだと私は思っています。