今回は、80年代に伝説の存在として脚光を浴びた天才・初代タイガーマスクのご紹介です。
初代タイガーマスクこと、佐山聡さんは、海外修行から帰国後、梶原一騎さん原作の漫画「タイガーマスク」から現実のヒーローとして、新日本プロレスに彗星のごとく登場しました。
初代タイガーマスクとしてのデビュー戦は、1981年4月23日、蔵前国技館におけるダイナマイト・キッド戦。タイガーとキッドにとって、両者は互いに良きライバルであり、今なお語られる数多くの激戦を繰り広げました。
デビュー戦のマスクは雑な作りの粗悪なもので、マントもまるでシーツのような物であったことは有名な話です。佐山さん自身は物理的な羞恥の他にも、漫画の世界を現実に持ち込むことは「新日本プロレスで浮いた存在」になるのではないかと懸念していたそうですが、数々のオリジナルムーブとフィニッシュのジャーマンスープレックス・ホールドでデビュー戦にして人気をさらっていきました。
初代タイガーは新日本プロレス伝統のストロングスタイルをベースに、全米プロ空手流の打撃技と武者修行先で培ったルチャリブレ(メキシコ式プロレス)の空中殺法とを織り交ぜた革新的なレスリングスタイルは、全国的に空前のタイガーマスクブームを巻き起こしました。
そのファイトスタイルは、実況の古舘伊知郎さんによって「四次元プロレス」「四次元殺法」と形容され、タイガーマスクの試合を中継した『ワールドプロレスリング』の視聴率は、ほぼ毎週25%を超え地方興行も空前の大入り満員が続いたのです。当時の子供たちの間では、新日本プロレスの看板レスラーであるアントニオ猪木さんを凌ぐほどの人気を獲得していました。
そんな人気絶頂の最中、初代タイガーの新日本プロレスでの活動には突然終止符が打たれます。1983年5月に漫画「タイガーマスク」の原作者である梶原一騎が講談社編集者への暴行容疑で逮捕され、社会的影響度から改名問題が浮上します。
8月4日、デビュー戦と同じ蔵前国技館で改名を予告し、ファンに新リングネームを当てさせるクイズ企画も用意されましたが、8月10日に初代タイガーは新日本プロレスに対して契約の解除を一方的に告げ、突如引退を宣言したのです。
新日本プロレスでタイガーマスクとして活動したのはわずか2年4か月間でしたが、そのシングル通算戦績は155勝1敗9分けで、この1敗はダイナマイト・キッドをフェンスアウトさせての反則負けであり、シングルとタッグを含めて一度もフォール負けを許していません。