プロレススーパースター本列伝 “東洋の神秘”ザ・グレート・カブキ自伝
鉄の爪一族の話
久々の読書感想文は、「“東洋の神秘”ザ・グレート・カブキ自伝」です。この本は2014年に発売されています。ただ読んだのがつい最近なんで、ブログに書くのが遅くなってしまいました。
実は遡ること4年前の2010年に、まだ飯田橋にカブキさんのお店があった頃、私が伺って直接カブキさんからお話を聞いたことは、この本に殆ど書かれています。
ダラスでの活躍
ですから、今回はページ数の関係かどうかわかりませんが、「“東洋の神秘”ザ・グレート・カブキ自伝 」にも収録されているエピソードをここで加筆してお話ししようと思います。
カブキさんが東洋の神秘として、アメリカはダラスでご活躍されたのは、オールドプロレスファンならば衆知の事実です。この時代に、ダラスを牛耳っていたのは、鉄の爪・フリッツ・フォン・エリックでした。
当時のダラスというのは誰でも来たがるドル箱エリアだったらしくて、毎回2万もの観衆をフルハウスで埋めるそれは凄いモノだったそうです。
実践訓練で
フリッツ.フォン.エリックの息子のケビン、デビット、ケリーのレスラーとしての教育を任されたのがカブキさんだったのです。息子たちはエリックの前では直立不動で「イエス.サー」「ノー・サー!」というくらい徹底した?礼儀作法を仕込まれていたそうです。実の親子とは思えないですね。
ただ、道場とかで練習しているヒマがないため、実戦訓練と言うことになったそうです。そこでフリッツに呼びだされたカブキさんが「アメリカのスタイルで行きますか?日本のスタイルでいきますか?」とフリッツに聞いたところ、鉄の爪からかえってきた答えが「もちろんジャパニーズスタイルだ」というものだったそうです。
王国の悲劇は・・・
その顔はにやーっとした不気味なものだったんだそうですね。それ以降、カブキさんと息子たちの試合が連戦で毎日のように組まれ、その度に息子たちはカブキさんにぼこぼこにされていくわけです。
それをフリッツはにんまりとしながら見ていたんだそうです。いずれにしても彼らがひとかどのレスラーとして名をはせたのもカブキさんのおかげだったというわけですが、後々語り草になった「鉄の爪王国の悲劇」は、父親の性癖によるものかもしれないですね。
証言を裏付ける
この話を聞いたからかどうかわからないのですが、近年になってカブキさんの証言を裏付けると思われる映像を私は見ています。
それは、日本プロレス時代のフリッツ・フォン・エリック対ジャイアント馬場戦でのこと。当時はまだ試合前の花束贈呈が一般的で、当然馬場さんだけでなくフリッツにも花束が渡されるわけです。
緊張感がある親子
しかし、フリッツは無造作に花束をリング外に放り投げてしまいます。普通ならこれで話は終わりなんですが、試合中盤で場外戦になった時、本部席で観戦していた、少年時代のケビン・フォン・エリックの前に、件の花束が綺麗な状態でおかれていたのです。
それを預かるケビンはまるで上級士官の脱いだコートを丁寧にたたむ下級士官のような感じが、私にはしたのでした。
私も長い間、色んな選手が本部席に奥さんや子どもさんを座らせて観戦しているシーンをみてきましたが、これほど緊張感が感じられる親子は見たことがありませんでした。
ちょっとした変化
もしカブキさんの証言を聞いていなかったら私は多分このちょっとした変化には気づかずにいたでしょう。この本では比較的簡略化されており、「イエス、サー」のあたりは書かれていないため、今回ご紹介してみました。
うちも大概なオヤジでしたが、フリッツよりは数倍マシでしたから、つくづく鉄の爪一家に生まれなくてよかったと心から思いますね。