プロレススーパースター本列伝 プロレスラーになる方法
プロレスラーを目指す人向け
「プロレスラーになる方法」は、新日本プロレスの道場の裏話や仕来り、現役レスラーからの体験談、プロレスラーになる為には、どのような運動&トレーニングをすればよいか、など(新日本プロレスの)プロレスラーを目指す人向けに書かれた内容になっている。
著者は当時、新日本プロレス審判部長「だった」ミスター高橋氏。
そう、後年「流血の魔術 最強の演技 全てのプロレスはショーである」を出版し、物議を醸しだした、もとレフェリーである。
身分が保障されていると
人間というのは、ある程度身分が保障されていると、発言や考え方が穏やかになるものである。
それは余裕という表現になるだろう。
心に余裕がある場合
他人を妬まず、恨まず、悪口を言わない人は心に余裕がある場合が多い。
とはいえ、ネガティブな感情は誰でも持つものだし、それ自体悪いものではない。
公共の場で言いふらしさえしなければ。
「闇落ち」する前に書かれた
「プロレスラーになる方法」は、まだミスター高橋氏が「闇落ち」する前に書かれたいわば「白高橋本」ともいえる。
だから「プロレスラーになる方法」に書かれている、新日本プロレスの道場の裏話や仕来りというのは、いわゆる裏舞台に関する内容ではない。
毒にも薬にも
悪い言い方をすると「毒にも薬にもならない内容」になっているといってもいいだろう。
個人的には、暴露系の本や読む気がしないし、今後も読む気がないので、当然これを書いている時点でも「流血の魔術 最強の演技 全てのプロレスはショーである」は読んでいない。
読み比べてみるのは
「流血の魔術 最強の演技 全てのプロレスはショーである」出版の動機は、高橋が「警備会社を作り、引退したレスラーの受け皿とする。新日本が全面的にバックアップする」という約束で退社したにもかかわらず、その約束を反故にされた恨みと言われているが、高橋氏本人はこれを否定している。
ただ、「プロレスラーになる方法」と「流血の魔術 最強の演技 全てのプロレスはショーである」を読み比べてみるのはアリかもしれない。
余計なことしやがって
いくら本人が否定しても、「怨恨」がどこかにない限り、あのタイミングでもといた業界の「暴露」(これも高橋氏は否定している)はしないものである。
例えば、マジック界から追放されたもとマジシャンが、有名マジシャンの仕掛けを全部ばらした場合、観客側から出てくるのは「余計なことしやがって」という意見が大半になるのではないかと、私は思う。
なにをかいわんや
プロレスの場合、マジックほどはっきりした線引きがなされていないため、暴露された内容が「真実」として受け取られやすいが、ネタばらしには違いない。
ましてや、週刊ゴング誌で気心の知れたレスラーに「私の本に対して反論しないか。一般誌上で論戦を繰り広げる。そうすれば私の本ももっと売れるし、君の業界での評価も上がる」という話を持ちかけていたといわれているが、これもなにをかいわんやである。
論戦をするのはファン同士
もしも論戦するのであれば、論戦をするのは、関係者同士ではなくファン同士がやるべきものである。
関係者はネタを提供する側として、あくまで裏側は見せない。
それがマナーというものだろう。
WWEが「台本ありき」を公言する理由
WWEが「台本ありき」を公言しているのは、株式上場の際、業種をスポーツ関連のものとして登記すると税法上不利になることから、サービス業として登記しているためである。
そのため、台本ありきを公言してからの方が真実と虚構の世界が今まで以上に曖昧になり、混濁しているのが現状である。
「絶対に役立つ決定版」?
「プロレスラーになる方法」には「プロレスはショーである」という記述はない。
これからプロレスラーを目指す人間に対して、出版当時(1994年)では明らかにできなかったということを考慮しても、副題の「絶対に役立つ決定版」というのはちょっと「盛りすぎ」な気がするのである。
出版当時と違った感想
やはり、後年「流血の魔術 最強の演技 全てのプロレスはショーである」を出版するタイミングといい、後でこじつけたようなネタばらしの理由といい、とってつけた感はいなめない。
そういう意味で「プロレスラーにばる方法」を読むと出版当時とはまた違った感想を持つに違いない。私もそうだったし。
ネタとして使えた
というか、そもそもなんで私はこの本を買ったのだろうか?特にプロレスラーになりたかったわけでもない人間なのにだ。
全く覚えていないのだが・・・
まあ、時間がたってネタとして使えたことに関しては、一定の価値があったのだと思うことにしよう。