プロレススーパースター本列伝 プロレスの創り方
インサイドストーリー
「プロレスの創り方」は東スポ記者を経て新日本プロレス企画宣伝部長を歴任していた永島勝司氏が語りおろしたインサイド・ストーリー。
永島氏は、1988年、新日本プロレスに入社。渉外担当・企画宣伝部長として、UWFインターナショナルとの対抗戦などヒット企画を生み、「平成のプロレス仕掛人」あるいは「背広レスラー」の異名を取るに至った人物。
派閥抗争に敗れ・・・
取締役時代には長州現場監督と共に新日本プロレスにおいて大きな発言力を誇っていた。
しかし、新日本プロレス内での派閥抗争にやぶれ、2002年、新日本プロレスを退団する。
WJプロレスへ
退団後、長州さんのタニマチであった北海道を中心に活動する企業家・福田政二の資金協力が得られることとなり、福田政二を社長としたWJプロレスを設立し、自らは専務取締役に就任。
WJプロレスの設立に伴い、大森隆男選手、佐々木健介選手らを次々と引き抜く。このあたりまでが、プロデューサー・永島勝司の最盛期だったと思われる。
ゴマシオの由来
このとき健介選手の新日本退団に対して永田裕志選手から「裏で手を引いている奴がいる。背広着て、煙草吸って、頭からごま塩をかけたやつだ」と永島氏を非難するコメントが出された。
この一件から、永島がネット上で「ゴマシオ」と呼ばれることがある。
プロレスを創造
2004年7月、経営の悪化によりWJが活動休止すると、内外タイムスの格闘技記事の責任編集者としてマスコミ界に復帰し、現在はYouTubeなどでも活躍されている。
さて、プロレスとは想像力の格闘技であり、永島氏が興業としてのプロレスを「創造」するのであれば、こちらは観客として「想像」の真剣勝負で挑まなければならない。
様々な計算
永島氏が考えるプロレス興業とは、さまざまな計算が必要なんだと「プロレスの創り方」では力説する。
一言でいうなら信頼関係になるのだが、それは決して対等ではなく、あくまで新日本が上にあるという前提が透けて見える。
俯瞰ができていない?
業界のため、と言いつつ実はそこまで俯瞰できていないところ、あるいは盛んに引用されるアントニオ猪木さんから学んだ「プロレスの創り方」を、レスラーでない永島氏が踏襲したあたりに、WJの悲劇があったように思う。
冬木弘道さんが考えるインディ統一には、まだ俯瞰できる視野の広さが感じられるのだが、永島氏の論点にはビジネスとしての相手だけがみえていて、その向こうのファンに対しての視点があまりに欠けている感じがする。
マニアではつとまらない
確かにプロとして仕事をするからには、マニアではつとまらない事は理解できる。
自身をプロレスファンではないと断言し、プロレスファン上がりで社員になった人間を冷めた目でみている件も、わからないではない。
仕掛けに溺れた
冬木さんはプロレスファンあがりを公言しており、プロレスラーだけでなく、ファンにも還元しようとアイディアを出していた。
「プロレスの創り方」からは、スキャンダルと仕掛けに溺れて、それを受け取るファンの視点が欠けている感じがする。
区分けは些末なこと
WJ解散を経た永島氏はまた変わっているかもしれないが、新日本在籍時、そしてWJ解散まではおそらくそんな感じだったのだろう。
私が「プロレスの創り方」を読んで感じたのは、「良い作品を提供しよう」という理念さえ合致していれば「背広組」「選手」という区分けなど瑣末なことに過ぎないということ。
理屈で理解できても
とはいえ、理屈で理解できても感情では受け入れがたいのが人間というもの。
理屈でうまくいくのなら、プロレス界しいては世界情勢もこんなことにはなっていなかっただろう。
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