プロレススーパースター本列伝・格闘漂流・猛き風に告げよ―私説UWF伝
解説
強い方が勝つ。格闘技の最も重要なテーマが、UWFの試合にはきちんとあった。前田、佐山、藤原…。UWFにとことんのめり込みながら、猪木への熱い思いが揺らめく。格闘技に憑れた男が送り続ける闘う男へのメッセージ。(解説はAmazonより)
熱い思いの丈
作家、夢枕獏氏が、当時新興勢力だった伝説の旧UWFに対する熱い思いの丈を存分にぶちまけた1冊が「格闘漂流・猛き風に告げよ―私説UWF伝」である。
その後のプロレス、ひいては日本プロレスの衰退と総合格闘技の栄枯盛衰を考えて、今読むと感慨深いものがある。
UWFブーム
様々なUWF本で書かれているように。昭和末期から平成初期に、いわゆるプロレス従来のイメージから一線を画す、格闘スタイルが平成の手前で盛り上がった時代があった。
チケットは即日完売し、映画館で行われたライブビューイングにも大勢のひとが詰めかけた。あれはまさに「UWFブーム」だったと思う。
一時代を築いた
いわゆるUスタイルと呼ばれる掌打や蹴りの牽制から、タックルや投げに移行し、関節技や首を締め付けたりして極めるという、いわゆるUスタイルは、確かに一時代を築いていた。
「格闘漂流・猛き風に告げよ―私説UWF伝」出版当時、私はU信者でもなんでもなく、ただ単純にプロレスが好きないちファンだった。
語り手の熱量に
プロレスは最高だったけど、最強とは思っていなかったし、第一次、第二次UWFのムーブメントとは距離を置き続けていた。
そんな私でも「格闘漂流・猛き風に告げよ―私説UWF伝」を無視できなったのは、当時夢枕さんの小説をよく読んでいたというのもあったし、語り手の熱量についつい手に取ってしまったのである。
エンターテインメントのひとつ
しかし、結局「格闘漂流・猛き風に告げよ―私説UWF伝」を読んでもUWFを生体験したいとは思わなかった。
のちにあまたあるスタイルの一つとして、3つに分かれたUWFをエンターテインメントの一つとして楽しんではいたが、それだけである。
UWFこそ本物?
「格闘漂流・猛き風に告げよ―私説UWF伝」は、UWFを追いつつ、レスラーや、Uに影響を与えた格闘技スタイルの所見を熱く、暑苦しく語っている。
まだ総合格闘技がなかった時代、UWFこそ「本物」だと信じていた人たちが確かにたくさんいたのだ。
今でも需要は
その多くはおそらく総合格闘技に流れていったのだと思うが、その後、総合もK-1も没落し、冬の時代を乗り切ったプロレスは逆に勢いを取り戻した。
今また、LEDETがUWFを世に問うなど、今でも一定数の需要はあると思われるUWFスタイル。
かつてのUとは別物
しかし、それはかつて「プロレスへのアンチテーゼ」として存在したUWFとは別物である。
強いて言うなら、かつての私がそしていたように、数あるプロレスのスタイルの一つとして消費されているような気がしている。
闘いの部分
私がUWFをあまたのエンターテインメントと同じように楽しんでいたのと同様に、もしかしたら、現代のお客さんもUスタイルを楽しんでいるのかもしれない。
ただ、個人的にはUWFは現代でも完全否定されるものではなく、Uが一番大事にしていた「闘い」の部分はプロレスにも必要だと思っている。
今更切り分ける意味
そもそもUスタイルと呼ばれる動きは今では完全にプロレスの中に取り込まれ昇華されている。
総合もあるこの時代、今更その部分だけ切り分ける必然性は感じない。
現代のUWFとは
ただ単に懐かしいという観点ではなく、現代にUWFが存在する意味を考えるならば、「闘い」の部分にしか価値を見いだせないと思う。
かつてブームを巻き起こした時代のUWFは見る側の幻想が膨らんだ結果だったと考えている。
幻想の提供
しかし時は移ろい、今度は見せる側が「幻想」を提供できるかどうかが問われるようになっていったと私は思う。
UWFが単なるスタイルをこえた運動体になれるかどうかは、提供する側が現代でも通用する「闘い」を見せられるかどうか?
そこがカギになっていくのではないだろうか?