プロレススーパースター本列伝 たったひとりの闘争
日本人人質事件
いわゆる「猪木本」と呼ばれるアントニオ猪木関連の書籍は、本人名義の著作含めて無数にあるが、これは、1990年のイラクにおける日本人人質事件に絞った一冊。
2022年現在この本を読むと奇妙な符号がたくさんあり、その事実に背筋が寒くなる。1990年8月2日、イラクがクウェートに侵攻したことで始まったのが、中東湾岸危機である。
32年前と違うこと
そして、2022年4月時点でロシアがウクライナに侵攻しているのが、現在の世界情勢である。
32年前と現在で何が違うのか?それはズバリ世界情勢に「アントニオ猪木がいない」ことである。
フィクションのようには
もちろんイラクとアメリカの問題は猪木一人で解決したわけではなく、結局こじれにこじれて、すっきりしない幕切にはなってしまった。
しかし、それは猪木のせいではなく、世界情勢とはフィクションのようにスッキリとは終わらないのだ。
もし、猪木が・・・
だが、それでも「もし、猪木が元気で政界にいたならば?」と想像せずにはいられない。それくらい世界の情勢は膠着してしまっている。
現在の猪木が闘っているミッションは「病」であり、世界情勢ではない。それは想像するに猪木自身が歯がゆい思いをしているのかもしれない。
猪木は行動を起こした
1990年代、イラクの時はどうだったか?「猪木は本当に無茶なヤツだ」「いったい何ができる」「行っても無駄じゃないか」という声も多かった。
だが、あの時猪木は行動を起こした。行動を起こすことが大切だったから相手の懐に飛び込んだ。平和の祭典を実現させた。
平和の祭典の功罪
もちろんそれには功罪があって、新日本プロレスにはまたしても負の財産を残してしまった。
それでも、猪木が行動したことは素晴らしい事だと思う。行動したことで日本人人質は解放された。
猪木のかわりは
今後の世界情勢次第では、イラクの時と同じことが起きるだろう。だが、そこに猪木はいないのだ。
残念だが、オカダでも棚橋でも猪木の代わりにはなれない。今いる政治家の誰しも、そして日本国民の誰しもが猪木にはなれない。それが現実である。
猪木がいない時間
これから不安定になっていく一方の世の中、我々は猪木がいない時間を生きていかねばならない。
それがどれほどの有事よりも危機的状況であろうか?「たったひとりの闘争」を改めて読み返すにあたって、想像するだけで私は無力感にさいなまれるのである。