[プロレス旅日記] 東京見聞録2010その11:2月27日飯田橋PART2

東京見聞録2010その11:2月27日飯田橋PART2

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いやな顔一つせず

実を言うとカブキさんが率先して口をきいてくださったというわけではなく、実は落語家でもあるK氏の絶妙なトークに引き出されていろいろお話ししてくださったというのが本当のところ。

しかし、いやな顔一つせず、いろいろなお話を聞かせていただいた事は本当に感謝したい。

ドル箱エリア

まずはアメリカでの活躍の話から。当時のダラスというのは誰でも来たがるドル箱エリアだったらしく、毎回2万もの観衆をフルハウスで埋めるそれは凄いモノだったらしい。

当時仕切っていたのは、ご存知鉄の爪.故.フリッツ.フォン.エリック。

実戦訓練を

で、実は息子のケビン、デビット、ケリーのレスラーとしての教育を任されたのがカブキさんだったのだ。

息子たちはエリックの前では直立不動で「イエス.サー」というくらい徹底した礼儀作法を仕込まれていたそうで、ただ、道場とかで練習しているヒマがないため、実戦訓練と言うことになったらしい。

ジャパニーズスタイル

で、カブキさんが「アメリカのスタイルで行きますか、日本のスタイルでいきますか」とフリッツに聞いたところ、かえってきた答えは「もちろんジャパニーズスタイルだ」。

ということで、カブキさんと息子たちの試合が連戦で毎日のように組まれ、その度に息子たちはカブキさんにぼこぼこにされていたそうだ。

にんまりと・・・

それを見てフリッツはにんまりとしていたそうだ...ひょっとしてサディスト?それとも愛の鞭だったのか...

いずれにしても彼らがひとかどのレスラーとして名をはせたのもカブキさんのおかげだったというわけ。

マジック・ドラゴン誕生秘話

また、故.ハル園田さんがアメリカ遠征時、食えなくてバイト生活をしていたことがあったそうだ。

カブキさんが連絡を取ると実は生活に困窮していると園田さんが明かしたので、じゃあ、こっち(NWAエリア)にこい、ということになって、そこでマスクマンとしてやっていくことになった園田選手をマジック.ドラゴンにしたのがカブキさんだったと。

あのマスクはカブキさんが作ったのだそうだ。すげぇ...

トラ・ヤツも

また新日本から海外遠征に出ていた谷津選手の面倒も見たそうで、猪木さんから「今度うちの谷津っていう若いやつがいくことになったから面倒見てやってくれ」と頼まれたらしい。

だがその時カブキさんは谷津選手がどういう選手か全く知らなかったそうで、とりあえず引き受けてプロモーターに掛け合ったところ「短期間なら」という条件付きで谷津選手の身柄があずけられることになり、そこでついたトラ.ヤツというリングネームもカブキさんが発案したモノだったのだ。

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