プロレス的音楽徒然草 HITMAN
ジミー・ハートと入場テーマ曲
今回はヒットマンの異名を持つブレット・ハート選手のテーマ曲「HITMAN」のご紹介です。
この楽曲はWWEのオリジナルであり、YouTubeなどのクレジットでは「Jimmy Hart & JJ Maguire, Jim Johnston」となっています。
ジミーハート
ジミー・ハートはハルク・ホーガンらのマネージャーとして度々リングに登場した人物で、1980年代、1990年代を代表するヒール・マネージャーの一人です。
コスチュームは原色の派手なスーツ、サングラスにリーゼント。常に携帯しているメガホンは彼の代名詞となっています。
もともとはミュージシャン
ジミーは元々は1963年、ロックバンド「ザ・ジェントリーズ(The Gentrys)」のメンバーとしてデビューしているミュージシャンです。
このジミーと組んで、100曲以上のレスラーエントランステーマソングでクレジットされているJJマグワイアもまたミュージシャンです。
JJマグワイア
JJは、80年代から90年代にかけてWWFまたはWCWレスラーのテーマ音楽を、ジミーハートとともに作成している人物です。
JJマグワイアは、1995年に「ハルク・ホーガンとレスリング・ブート・バンド」という名前で1枚のアルバム「ハルク・ルール」をリリースしています。このアルバムのほとんどをホーガン、ジミー・ハートとJJマグワイアが作っています。
レスリングアルバム
JJマグワイアは幼い頃から音楽に親しみ、地元のバンドで演奏していましたが、そのバンドのボーカリストがジミー・ハートだったのです。
今でこそプロレスの入場曲といえば、ほとんどがオリジナル楽曲になっていますが、もとをただせば、1985年に発売されたWWFの「レスリングアルバム」という作品にたどり着きます。
このアルバムはWWFのスーパースターと音楽界を織り交ぜたWWFの最初の実験ともいわれています。
ロイヤルティがいかに高いか
「レスリングアルバム」はヒットしますが、ビンス・マクマホンはオリジナルの音楽を増やし、カバー曲を減らした2つ目の作品をリリースすることで、この成功をさらに発展させたいと考えていました。
ビンス・マクマホンは、サバイバーの「アイ・オブ・ザ・タイガー」やクイーンの「アナザー・ワン・バイツ・ザ・ダスト」のような既存の楽曲を使うことで発生するロイヤルティがいかに高いかを理解していたからです。
オリジナル楽曲の提案
JJマグワイアによると、ビンス・マクマホンはジミー・ハートに、「2番目のレスリングアルバムのためにいくつかのオリジナル楽曲を考え出してみないか」といったんだそうです。
JJとジミーの作ったそれぞれの曲は、特定の選手に合わせて書き下ろされたものです。
二人三脚で
WWEのオリジナルテーマは、JJマグワイアが音楽を書き、楽器を演奏し、曲をアレンジしました。
こうしてジミー・ハートとJJマグワイアのほぼ二人三脚で、オリジナルのプロレス入場テーマ曲という新しい道が切りひらかれてきました。
クレジット表記との違い
1987年の「レスリングアルバムII:パイルドライバー」では、 JJマグワイアは1987年までWWFのために音楽を作成していましたが、多くのファンやオンラインソースは、彼とジミーハートの作品をジムジョンストンの作品と誤解しています。
実際、HITMANのクレジットも「Jimmy Hart & JJ Maguire, Jim Johnston」となっています。
しかし、「ジム・ジョンストンは素晴らしい仕事をしているが、彼はすべてをやったわけではない」とJJマグワイアは語っています。
JJとジミーの共作に移行
「80年代半ばから90年代のほとんどを通して、ジョンストンは、その間4つのテーマのみに関わっている」そうです。
ではなぜJJとジミーの共作に移行していったのかというと、結局ジミーハートが目指した音楽は、ジョンストンが制作したものとはテイストが異っていたから、というのが理由のようです。
WCWの音源は・・・
また、JJマグワイアはWCWでもレスラーのためにたくさんの曲を書きました。しかし、WCWが消滅したため、自身の楽曲すべてに対するデータも失ってしまったようです。WCWの音源が商品化されていないのはこのあたりに原因があるようです。
象徴的な楽曲
さて、ブレットのテーマ「HITMAN」は、WWEの歴史の中で最も象徴的な楽曲の1つです。
それはヒットマンキャラクターの一部だともいわれています。
常に素晴らしい明瞭さと完璧なバランスを持っていた「HITMAN」は、多くのファンに愛されており、今も姪のナタリアの入場テーマ曲に「HITMAN」のイントロがインスパイアされて使われているのは有名な話です。