プロレス的音楽徒然草 炎のファイター INOKI BOM-BA-YE
今まで避けてきた
今回の音楽徒然草は、今まで避けてきた「炎のファイター」です。
ずっと以前にジャイアント馬場さんの「王者の魂」は取り上げたのですが、猪木さんの「炎のファイター」は、なぜか記事にしてきませんでした。
勝手な使命感
そもそもいろんな方が「炎のファイター」について書かれていますし、私が書いても、今更感が半端なかったというのが主な理由だったのです。
しかし、猪木さんが逝去された2022年に、「炎のファイター」を記事にしなければ!という勝手な使命感が、私の中で湧き上がってきました。
思いの丈を書き出して
猪木さんの記事については、亡くなられた10月に思いの丈を書き出してみたのですが、なぜかそこでも「炎のファイター」には触れていませんでした。
猪木について考えることは喜びである
というわけで、今回は鉄板中の鉄板曲が満を持して登場するわけです。
元々の曲は
「炎のファイター」の正確なタイトルは「炎のファイター INOKI BOM-BA-YE」です。
元々この曲は、伝説のプロボクサー、モハメド・アリ選手の伝記映画「アリ・ザ・グレイテスト」のサントラ「アリ・ボンバイエ」(ALI BOMBAYE)のテーマ曲です。
「ボンバイエ」は
「ボンバイエ」という掛け声は、アリ選手がコンゴの首都キンシャサでジョージ・フォアマン選手と戦った際の、観客からの声援に由来しています。
「アリ・ザ・グレイテスト」については、だいぶ前に見ていますが、映画批評などを読むと、それほど高い評価がなされていません。
名作でないと
木戸修選手のケースや、越中選手のケースもそうなんですが、元の作品が名作でないと、そのサントラ盤はなかなか後世には残りません。
幸い越中さんの「バイオレント・サタデーのテーマ」は、今でも手に入りますが、木戸さんの「BLACK RIDER」の「元ネタ」である「夢一族・ざ・らいばる」のサントラはまず再発売されないでしょう。
格闘技世界一決定戦
話しがだいぶそれたので、「炎のファイター」に戻しましょう。
アントニオ猪木さんとモハメド・アリさんは、1976年に日本武道館で開催された「格闘技世界一決定戦」で対戦しています。
1977年発売
後に猪木さんの健闘を称えたアリさんから「アリ・ボンバイエ」が贈られ、猪木さんのテーマ曲にアレンジされて現在に至ります。
こうして「炎のファイター INOKI BOM-BA-YE」は、1977年(昭和52年)にレコード発売されました。
全盛期はいつか?
さて、猪木さんが亡くなってから「猪木の全盛期はいつか?」という話題を、いくつか見かけました。
「炎のファイター」が会場で流れ出したのは、アリ戦以降ですから、早くて70年代末。だいたい80年代が中心になります。
最も傑出していた試合では
したがって、猪木さんが体力的に最も傑出していた60年代末から70年代中盤までの試合では、「炎のファイター」はかかっていないわけです。
ですから、日プロ時代のドリー戦。新日本旗揚げ戦で闘ったゴッチ戦。極めて珍しかった日本人対決だった対小林戦。狂える虎として新日本のドル箱カードになった対シン戦・・・
勝手に記憶を書き換えて
これらの試合では「炎のファイター」で猪木さんが入場していないのです。
ところが、よくしたもので、私は脳内で勝手に記憶を書き換えて、あたかもアリ戦以前から「炎のファイター」に乗って猪木さんが入場していたかのような誤認をしているのです。
カバー曲
実際は先述した通り「アリ・ザ・グレイテスト」のために作られた作品で、「炎のファイター INOKI BOM-BA-YE」はカバー曲ですらあるのです。
それくらい「炎のファイター」は鮮烈で、なおかつ猪木さんのためにあるような楽曲なのです。
落日期の闘魂
以前、別な記事で私は全盛期より、むしろ「落日期の闘魂」の方がより印象に残っていると書きました。
それはおそらく「炎のファイター」とセットで記憶に刻まれているからかもしれない・・・
そんな風に私は思っています。