プロレス的音楽徒然草 ロッキーのテーマ
ロッキーのテーマ
今回はあまりに有名なので取り上げる機会がなかなかなかった「ロッキーのテーマ」です。こんな誰でも知っているようは曲を入場テーマ曲にしている選手がいるのか?と、プロレスにそれほど詳しくないあなたは思われるかもしれませんね。
実はロッキーのテーマを入場テーマ曲にした選手は一人ではありません。今回は、現在も活躍されている力道山二世、百田光雄選手と、新日本プロレス・ヤングライオン時代の山田恵一選手の二人に絞ってお話ししたいと思います。
6時半の男
百田光雄選手の場合、ブレイクした当初、第1試合で若手の壁として立ち塞がるマッチメイクが多かったことから、「6時半の男」と呼ばれていました。この6時半の男も、元をたどれば読売ジャイアンツの宮田征典投手が、リリーフとして登板する時間から「8時半の男」と呼ばれていて、そのもじりです。宮田投手はwikipediaによると・・・・
日本野球界におけるリリーフ専門投手の草分け的存在で、後楽園球場の場内アナウンスを担当していた務台鶴が、宮田が登板する時間帯が午後8時30分(8時半)前後であることに気づき、「宮田さんは、よく8時半頃に登板するのね」と発言したことがきっかけになり、8時半の男のニックネームが付けられた。
のだそうです。
将来を嘱望されていた
百田光雄選手の場合、第1試合の開始時刻である18時半からこの二つ名がつきました。百田ブームはやがて、当時ジュニアのチャンピオンだった渕正信選手に挑戦するところまでになりました。そこからは、ジュニアの実力者としても君臨していきました。
山田恵一選手もジュニアヘビー級の選手で、新日本プロレスの未来を担う選手として、将来を嘱望されていました。だいたい百田選手と重なる時期に、第1試合で活躍することが多々ありました。
リバプールの風に
その後、山田恵一選手はイギリスに渡り、リバプールの風になるわけです。その後の活躍は・・・あなたもよくご存じだと思います。
しかし、この同じテーマ曲を使っていた二人の選手は後に奇妙な邂逅を果たします。
ライガー対百田
山田恵一選手といれかわるように現れた獣神サンダー・ライガー選手は、GHCのジュニアチャンピオンだった時に、当時プロレスリングノアに在籍していた百田光雄選手のチャレンジを受けて、一騎打ちをしました。
結果は至宝奪還とはなりませんでしたが、ノアに来てからもしばらくは悪役商会と共に「明るく、楽しい」プロレスを担ってきた百田選手が久々にその実力を知らしめた試合だったと私は思っています。
スタローンよりも・・・
私は映画ファンでもあるので、正直ロッキーも嫌いではないのですが、あれほどの人気シリーズであるにも関わらず、ロッキーシリーズは「1」しか見たことがありません。
それだけプロレスファンとしての性が自分の中で大きくなりすぎているため、あなたがどれほどスタローンを強く思い描こうとも、私の中では「ロッキーのテーマ」=「百田光雄」もしくは「山田恵一」が一番先に思い浮かぶのです。