プロレススーパー仕事人列伝⑯ホースト・ホフマン編2
キャッチトーナメント
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今回は若き日のホースト・ホフマンの試合をご紹介しましょう。国際プロレス時代や全日本プロレス時代にはすでにヨーロッパのテクニシャンという触れ込みで来日していたホフマンですが、最初から「できる」選手ではなかったのです。
しかしながら後年テクニシャンとして開花する片鱗は確かに伺えます。
ご紹介する試合は1961年、フランスで行われたと思われるキャッチトーナメント(キャッチとはヨーロッパ式のプロレスのことだと思っていてください)に出場しているホフマン(なんとショートタイツ)です。ホフマンに対するは、ベテラン選手のリノ・ディ・サント。
リノ・ディ・サント
この時代はドイツやイギリスだけでなく、フランスなどでもこうしたキャッチのトーナメント大会は普通に行われていたようです。
リノ・ディ・サントと言ってもメキシコのエル・サントとは完全な別人です。そもそも覆面レスラーですらないですが、渋いテクニックを随所に散りばめて、若きホフマンを翻弄していきます。
動画では対ドリー戦でも披露していたニーリフトをサント相手にも炸裂させています。逆に素早く畳み掛けるスピニング・トー・ホールドは、サントに仕掛けられています。この時代のホフマンは、全体的にまだまだ荒削りですが、破壊力があるニーリフトはホフマンの隠れた必殺技と言ってもいいかもしれませんね。
高いレスリングテクニック
リノ・ディ・サントという選手は、私も散々検索したのですが、この試合の画像以外はヒットしませんでした。しかしながら、若い時代とはいえ、スキルの高い若きホフマンを相手に披露する高いレスリングテクニックは今見ても驚嘆に値します。
昔はヨーロッパにもこうした選手がゴロゴロいたのかと思うと、果たして今のプロレスは進化しているのか、退化しているのか、私にも分からなくなる時があります。
ただ、こうした映像が残されているということは大変貴重ですし、こうした場所でホフマンが腕を磨いていた証明にもなります。
三沢のお手本
一説によると故、三沢光晴はホフマンを自分の理想的な選手の一人としていたそうです。2代目タイガーマスクから素顔の三沢光晴になった際、緑を基調としたロングタイツにしたのも、同じ緑のロングタイツをトレードマークにしていたホフマンに憧れていたからだと言われています。
三沢選手が既に鬼籍に入られ、ホフマン自身も消息不明となっているため、真相は藪の中ですが、もし事実なら三沢カラーとして緑を継承しているプロレスリングノアには、何かしらホフマンのレスリングも受け継いでもらいたいものですが…現状、それは高望みにしかならないのかもしれないですねえ。