[プロレスラー] プロレススーパー仕事人列伝⑥ケンドー・ナガサキ編.2
どのリングネームでも
ある時は若手の台頭を促すための壁として、ある時は来日外国人選手のサポートとして、仕事人と呼ばれる選手は、言い方は悪いですが、便利屋のように使われることもあります。しかし、しっかりした基礎と確かな技術とがなければこうした仕事をこなすのは困難です。
ナガサキさんにはいくつものリングネームがあります。本名の桜田一男はもちろん、ケンドー・ナガサキ、ドリーム・マシン、ランボー・サクラダなど確認できるだけでも、いくつもの顔を使い分けています。
しかし、武藤敬司とグレートムタのようなキャラクターとしての違いはなく、淡々と求めに応じて仕事をこなすサクラダさんの実直ぶりが伺える試合運びは、どんなリングネームを名乗っても変わりはしませんでした。
恰好の壁
そこでもう一つご紹介したいシングルマッチというのが、このドリーム・マシンとして、若大将時代のジャンボ鶴田選手と闘った一騎打ちなんです。大相撲(立浪部屋)出身のガタイのよさでは、190センチ超の鶴田選手には決して引けをとりません。
加えてアマレス五輪代表の鶴田さんとも互角以上に渡り合えるレスリングテクニックをもつナガサキさんは、まさに今からスター街道を走り出す鶴田さんにとっては格好の壁であったと思われます。
この試合で言うと序盤の腕攻めと、中盤でみせたスリーパーによって鶴田さんがかなりスタミナを消耗していることがうかがえます。終盤で攻勢に出たドリームマシンのブレンバスター→フライングニードロップによって、鶴田さんがかなり追い込まれていることがその証拠とも言えます。
負けても強し!
また場外戦でのラフファイトも効果的にしてますね。パイルドライバーによって追い込まれたものの、大逆転のバックドロップで鶴田さんが勝利します。この時期、鶴田さんのバックドロップをフィニッシュとして定着させたい思惑に適う試合展開ですよね。いい仕事ぶりだと私は思います。負けてもドリーム・マシン強し、の印象はかわらないわけですから。
余談ですが、新日本移籍後も仕事人として活躍したナガサキさんは、一時期ランボー・サクラダとして小兵の多かった新日本正規軍の助っ人として、ある時は超獣ブルーザー・ブロディの相手をつとめ、ある時はヤングライオンだった後藤達俊選手のサポートとして、ザ・ライジングサンズというタッグを組んだり、かと思えば、なぜか将軍KYワカマツ配下で、悪役になってみたりと、実に変幻自在でした。
ナガサキ最強説!
そういう中から、ナガサキ最強説がまことしやかに囁かれるようになっていきました。悲劇なのはプロレスの仕事人が格闘技もできると思われてしまったことでした。しかるべきギャラが払われるならどんな場所でも仕事をする仕事人の顔が裏目に出た瞬間でした。
ナガサキさんが総合に出た時代は総合格闘技の概念がまだボンヤリしていて、「なんでもあり」という形で世の中に発信していました。
時代の過渡期
実際はレフェリーもいて、ルールもあるし決して「なんでもあり」というわけではないのですが、ナガサキさんが海外で体験してきたであろう「なんでもあり」はまさに拳銃やナイフが飛び出しかねないケンカを想定していたのでしょうね。
しかし当たり前ですが、街のケンカは街のケンカであり、見世物ではないわけです。総合格闘技もプロレスも人様に見せられるように洗練されて今の形になりました。
時代の過渡期とは言え、喧嘩と異種格闘技と総合格闘技がごっちゃに語られていた不幸な時期に、バーリ・トゥード挑戦したナガサキさんは不幸だったかもしれません。
強さの表現が違う
確かに負けて失うものはあったかもしれない。無策で挑んだナガサキさんの見通しは甘かったかもしれない。でも当時、まだ未知の領域だった総合へ一歩踏み出した勇気は称賛されてしかるべきでしょう。
総合格闘技には総合の素晴らしいところがあるように、プロレスにもプロレスのよさがあります。
強さの表現方法ももちろん違います。かつてFMWにドラゴン・マスターの名で登場し、生ぬるい空気が充満していたFMWを震撼させた強さはまさに本物でした。
数々の修羅場を・・・
なんでもありというのであれば、むしろFMWの方がよっぽどなんでもありっちゃなんでもありですよね。なんせ「レフェリーが危険とみなしたもの以外の全ての反則を認めます」っていっちゃうところなんですから。
でも、ニック戦にしろ、鶴田戦にしろ、確かな技術でリング上を支配する力がナガサキさんにあったことは疑いようもありません。でなければ数々の修羅場をくぐって生き残ってはこられないはずです。最強ではなかったかもしれない、でも限りなく強かった仕事人、それがケンドーナガサキだったと私は思います。
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