老害プヲタ・プロレス“ザ・モンスター”ハラダの発想の転換のすすめ#64 倦怠期とプロレス
同じことを続けていると
今回は「倦怠期」と「プロレス」のお話です。
長く続けていると大概倦怠期というものがくるようです。同じことを続けてきて、もうお腹いっぱい。食傷気味になる。これは一般的によくあることのようです。
実際、知人が先だって「20年もおんなじ事してたら、飽きるんです。だから新しいことをはじめます」と言って、新しい事業をスタートさせました。
チャレンジしていくことは
これは決して悪い事ではないですね。次々と新しい課題を自分で用意してチャレンジしていく。素晴らしい事だと思います。
ただ、これは個人の資質の問題かもしれませんが、私はなんでも飽きないというか、興味が持続する限りは続けられるんです。
ところが時間は有限なんで、新しいことを始めたければ、今のままでは色々不都合があります。
飽きないことも才能のうち
先程の知人も現在ある事業はある程度そのままで、任せられるところは任せて、空いた時間で新しいチャレンジをするようです。
私個人は、決して新しいチャレンジも嫌いではありません。ただ続けられること、飽きないことも、才能のうちだと思うようになりました。
上には上がいる世界
プロレスという底なし沼は文字通り底知れなくて、どれだけ経験値あげても上には上がいる世界です。
しかもそれが全然イヤになりません。むしろワクワクします。
だから、選手も長く現役続けたくなるんだろうと思います。
変わらない景色
自分も生涯一ファンを追求し続けたいし、観戦したいし入場テーマ曲も追いたいのです。
さて、プロレス界では鎖国や変わらない景色をぬるま湯と揶揄する向きもあります。
しかし、刺激というのは劇薬みたいなもので、打ち続ければ効き目も薄らいできます。
刺激にはない持続性
たしかに乱入による新しい顔が現れて、緊張状態が生まれれば刺激的です。しかし、それには持続性がありません。
刺激というのは慣れていくと刺激ではなくなります。プロレス団体の場合、カンフル剤のつもりで入れた刺激から、それまでの関係性が崩れたりすることもありました。
そういう刺激に頼らないで、プロレスならではの緊張感を醸し出す事は十分可能です。
刺激が刺激でなくなった時に
新しいチャレンジというのは、新たなる刺激を求める側面もあります。しかし、それが刺激でなくなった時に飽きがきます。
そこをどう乗り越えるか?刺激の誘惑に負けじと闘う姿勢も、私はプロレスだと思っています。